Waiting Here −Part Two −


スパイクはザンダーの家へとだらだら歩いていた。もっとも何故そうしているのかはっきりと理由付けすることはできなかった。ただ、なんとなく、今夜はどうしてもあのガキに会っておかねばならないという気がしたのだ。

明白にこれこれだと言うことは出来なかったが、スパイクはこのところ、ザンダーの体から不審な匂いを嗅ぎ取っていた。あの小僧っ子からは、ふだんは情熱と光とユーモアと、そして生きることへの果てしない欲望の匂いがするものだった。だがここ一週間、アンヤという売女が少年を捨てて以来、その香りは変質した。

彼ははじめ、二人の破局を信じられなかった。彼はザンダーと一緒に暮らした数週間のおかげで相手を良く知るようになっていたから、彼が元悪魔の女に向ける思いの深さも当然知っていた。ただその一方で、人間を痛めつけて悦ぶ悪魔の本性を、アンヤが完全に無くしたと信じるほどスパイクはおめでたくはなかったが。 

(ま、要するに、ただ殴るより手の込んだ拷問の方法を、あの女は編み出したってわけだよな)

だがザンダーは特に打ちのめされた風もなくやっているように見えた。彼女に会っても取り乱すことなく、悪口を言うこともない。つまりは失恋の痛手を和らげるための何ものも行うことなく、ただジッと耐えていた。

スパイクはこれには感心した。痛手をこうむったときにどんな態度を取るかほど、その人間の器量を露すものはない。

だが一方で、ザンダーの皮肉は苦さを増し、彼のウィットはより辛辣になっていた。誰ともまともに目を合わせようとはしなくなり、また誰からもどんな注目も浴びたがらなくなった。ようするに彼は、"この世から撤退"したがっていた。

そしてそれこそがスパイクがここに居る理由だった。認めたくはなかったが、彼はこの少年を賞賛するようになっていたのである。どんな状況でもユーモアを忘れず、死を前にしても大した事じゃないさと笑って見せるような、そんなザンダーの姿は、125年生きてきた吸血鬼にさえ新鮮な驚きを感じさせるものだった。

だがその少年が、いまや沈みかけていた。これがヴァンパイアの心に引っかかって、彼の気分を重くしているものだった。

昨夜のことだ。吸血鬼の彼すらぞっとさせられた事があった。

二人はその夜、パトロールのペアを組んでいた。スパイクはこのごろずっとザンダーから、愚痴でも何でもいいから話を聞き出してやろうと狙っていたのだが、何を話かけても無駄だった。いつものように皮肉や軽口で応酬することもなく、何を言っても無反応である。そうこうしているうちにヴァンパイアの一団に出くわしたので(全部で8匹いたのだが)、スパイクはこれでこの陰気な"会話"から脱出できるとばかり、喜び勇んで戦闘につっ込んでいった。当然ザンダーはザンダーで、自分の面倒をちゃんと見られるだろうと信じきって。

スパイクは鬱憤晴らしに思う存分楽しんだ。蹴り上げ、身をかわし、一撃を食らわせ、組み付いてくる奴の首をへし折って、そいつの体が地面にたどり着く前に杭を打ち込んで塵に変えてやって、そして彼は気がついた。悲鳴をあげているのは自分と戦っている奴らだけだ。

スパイクはザンダーに皮肉を浴びせてやろうと振り返った。

「おい、何やってんだよ。猫だってお前より役に立つ…」

そして彼は目にした光景に声を詰まらせた。

ザンダーは壮年のヴァンパイアと戦っていた。だがそこにはいつもの熱さがなかった。 明らかにヴァンパイアのほうが優勢で、ザンダーが負けるのは時間の問題に見えた。顔色を変えたスパイクが身を返して駆けつけようとしたまさにそのとき、ザンダーは木の根に足を取られて真後ろにひっくり返った。その隙をつきヴァンパイアが猛然とザンダーにのしかかる。そのとき、スパイクはザンダーの顔にある表情が浮かぶのを見た。

安堵。歓喜───それが一瞬だけ、閉じられる直前のザンダーの目に、稲妻のように走ったのである。スパイクの背に戦慄が走った。彼はヴァンパイアを少年から引き剥がすと、間髪をおかずに刺し貫いた。

「冗談じゃねぇ、ハリス、どうした?殺されるところだったぞ!」

スパイクはゆっくりと散っていく塵を背後に叫んだ。

「ああ───―でも、そうじゃなかったんだから、いいじゃないか」

熱のない、ぼやけた返事だった。スパイクはその声の下にあるものを感じ、それ以上の言葉を飲み込んだ。二人は押し黙ったままパトロールを終え、何も言わずに互いの家に向かう道で分かれた。


というわけで、彼はここにいるのだった。地下室に向かいながら、奴の不調の原因は必ず探り出してやると心に決める。おそらく歓迎されないだろうが、しかしザンダーが抱え込んでいるものが何なのか、スパイクはこれ以上知らずにほうっておくことは出来なかった。これは一つのミステリーだった。そしてスパイクはミステリーなど大嫌いだった。その一方で、彼はザンダーと自分がパトロールをしてる間にザンダーにもしものことがあった場合、怒り狂ったスレイヤーは間違いなく自分の心臓を杭で一突きするに違いない、とか、人間というのはなんだってあんなにエゴイストでいられるんだろうとか、益体もないことを考えて一日過ごしていたのでもあった。

スパイクは地下室のドアの前に立ち、ノックした。

「おい、ヒヨッコ。 俺だ。ドアを開けろ」

しかし答えはない。

スパイクはもうちょっと強く叩いた。

「開けろって言ってんだよ、小僧」

今度は唸り声に脅迫の響きが混じった。だが、やはり、返答はない。

スパイクはほんの少し不安になった。彼には窓越しに蝋燭の光が揺れるのが見えたし、何か低音の歌が流れているのも聞こえた。誰かがいるのは間違いない。彼はドアを開けようとした。だがロックされていた。その瞬間、得体の知れない不安が彼のなかでじわりと動いた。彼は地下室の明り取り窓を押しあけ、その隙間に身体を乗り入れて大声で呼んだ。

「どうした、おい、人が…」

彼ははっと身を強張らせた。その瞬間、彼の両頬をひっぱたくように血の匂いが彼の嗅覚を刺し貫いたからである。考える間もなくドアを蹴破ると、彼は地下室に駆け込んだ。

「ザンダー、おい、小僧、どこだ?」

彼の血走った両眼が部屋中を走り、黒い線に目を留めると、それから点々と一定の方向へ続く染みを辿っていった。

「ザンダー、聞こえるか?大丈夫か?」

一杯に部屋を満たす血の匂いに酔って、スパイクは頭がふらふらしはじめていた。バスルームの前で、もう一度呼びかける。声が震えるのが自分でもわかった。

「ザンダー、大丈夫か?」

そしてドアを開けた瞬間───彼はその光景に凍りついた。バスタブに寄りかかるようにして、ザンダーは手にナイフを、両腕には包帯を巻いて、血だまりの中に倒れていた。他の全ての思考が凍りついた中、スパイクの心の片隅が、あれまあ、ついにやっちまったんだな、と冷静に囁くのを、彼はどこかで聞いた。

「馬鹿野郎…」

スパイクは身じろぎもしない体の傍らに跪き、小さく呟いた。だが弱々しい心臓の鼓動と、かすかな脈を聞き取れた。彼はそっと手を伸ばすと、ザンダーの顔から慎重に腕を持ち上げた。そのせいでザンダーの身体はずるずるとバスタブの中に沈んでいってしまい、同時に彼の右腕が露になった。鋭い視線がそこの傷を捉え、そして彼はその意味するところを理解した。これは以前にも見たことがある。

そしてそのとき、スパイクには全てのピントが合ったのだった。なるほど、この少年は、このまぬけな人間のガキは、あのいかにも陽気な仮面の下で、自分ら全員を完全にペテンにかけていたらしい、と。そして、気をつけて見さえすれば、誰だって彼の抱えている痛みに気がついたはずだったのだ、ということも。

スパイクは自分を誘惑する血まみれの光景をなんとか無視して、ザンダーの心臓の鼓動だけに意識を集中させた。彼には一目で数パイントの血液を少年が失ったことが判っていた。これ以上失血すれば命取りになる。だが鼓動は、遅くはあったが、安定して、強かった。スパイクはそっと少年の身体を腕に抱き上げると、ベッドに運んだ。

彼の頭に最初に浮かんだのは、もちろんすぐにも彼を病院へ連れて行くことだった。が、そうしようとして一歩踏み出しかけたとき、スパイクは考え直した。

これはどこからどう見てもこの少年が自殺を試みたものとしか見えない。スパイクには、しかしうまい作り話をでっち上げられる自信はなかった。鼓動は安定していたし、血も止まっている。頭を一振りして、彼は残された選択肢を選んだ。

彼は電話に手を伸ばし、ダイアルした。6度目のコールで返事がくる。

「ウィリー、俺だ。これから言うことを良く聞いて、言うとおりにしてもらいたい。まず、医者が一人必要だ。腕がよくて、今から俺が言う所にすぐ来れる奴だ。それからそいつに人間の血を5パイントもって来させろ。輸血の道具といっしょにだ。15分以内に用意できなかったら、死んだほうがましだと思うような目にあわせてやるぞ。判ったか?」

スパイクは忍耐力の切れるまで、数秒間相手の男のくだくだしい弁解を聞いていたが、ついに、

「言い訳は聞きたくない!とにかく言われた通りにやれ。お前だって俺の力は知っているんだろう?」

最期の言葉は穏やかに発されたのだが、しかしそこに含まれた氷のように冷たく鋭い調子には、脅し以上の意味がこめられていた。一瞬の間があり、電話の向こうの男の頭に、何か固いものがぶつかったような音がした。

「──よし。どうやら我々はお互いに分かり合えたようだ。これからも、俺の目があることを忘れるなよ」

スパイクは住所を告げると電話を切った。それからベッドの片側に座り、もう一度心臓の音に耳を澄ます。鼓動はまだ打っている。弱く、遅かったが、それでもきちんと打っていた。

「がんばれよ。あともうちょっとだ」

スパイクは横たわる少年の体を観察した。そして腕の傷跡を見たとき、そっと息を呑んだ。

彼にはザンダーがどうやって、どれくらいの深さに、どれくらいの長さで、自分の腕を切っていったか、そしてどこでコントロールを失ったかの経過を、まるでフィルムを巻き戻すように見ることが出来た。そして彼の心に強い不安感を生じさせたのが、一番最初につけられた傷あとだった。

それは痛みを感じるほどには十分深く───そして傷を残すほどには”深くなかった”。至芸といえるほどの熟練がなければ、こんな傷はつけられやしない。

こんな芸当を身に付けるのはどんなに難しいことだろう。そして、ここに至るまでの沈黙の日々は、いったいどれほどになるのか。

彼は暗い瞳でザンダーを見下ろした。

「いったい何故こんな事を・・誰のせいでだ?いいか、負けるなよ、目を覚まして、俺に何があったかを言うまでは、負けてはダメだ」

そう囁き、彼は手を伸ばしてザンダーの頬に指を走らせた。

ザンダーの心の裂け目から何かが溢れ出したのなら、スパイクはそれが何なのか知らねばならないし、誰のせいなのかも知らねばならないし、その理由も知らねばならない。なぜか判らなかったが、彼は必ず自分がそうしてみせると決めていた。

ザンダーは絶対に何からも身を引いたり、こんな風に逃げだしたりはしなかった。だったらそれが何であれ、彼は知らねばならない。

そして何もかもを元通りにしてやらねばならないのだ。

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