Waiting Here-Part Eight-


 

「で、このときになってやっと、俺はキンタマを奴の喉奥まで突っ込んでやるわけよ。結局のところ、あんまり早いとこ切り上げちまったら奴の哭きわめく金切り声を楽しめないからな。───とまあ、こんなんでどうだ。お気に召していただけたかな?」

話し終わったスパイクは、まるで3時のおやつを前にして待ちきれない子供のように、椅子の上でぴょんぴょん跳ねるように体を動かした。

あの外道が死ぬまでは、完全にハッピーだ思う日は訪れることはないだろう。が、しかし少なくとも今のところは、スパイクは本日の「デイリー・ホラー・ショウ」を構想することで満足していた。

語っている間もスパイクは、ずっとザンダーの顔に浮かぶ表情を観察していた。

少年の目に怒りが燃え、まるで想像上で流される父親の血を味わっているかのように、自分の唇を無意識に舐める。しだいに熱を帯び、頬に血が昇り、うっすらと鮮やかに紅く染まっていく。イッツ・ビューティフル。

ザンダーは口にスプーンを運ぶ途中のまま固まっていた。掬ったミルクの滴がぽたぽたとボウルに落ちる。

なんでスパイクにあんなことを頼んだんだろう、と彼は我ながら不思議だった。きのうの夜にした例の奇妙な契約に従って、スパイクは今朝さっそく微に入り細をうがった父親の殺害シーンを語り聞かせてくれたのだ。しかしスパイクの想像力の素晴らしさときたら、彼の期待以上だった。

ザンダーはスパイクが紡ぎだす一言一言を、まるで舐め取るように咀嚼した。心の中にある目でもって、その情景を、父親をぶちのめし、痛みに泣き喚かせ、ついには殺害するその情景を、ありありと目の前に描き出した。

殺したい。

純粋な願望が内側から彼の身を焼くのを感じていた。彼は一瞬だけ、少しは良心の呵責を感じるべきではないかと自問してもみた。だがダメだった。まだこんなに体中が、心が、悲鳴をあげている今このときは。

「ふむん、今日のは…」

しかしどう云う風に"今日の"の感想を言うべきかわからなかった。彼は続けた。

「今日のは…あー…非常に写実的だったね。───ちょっと思ったんだけど、ついでに目に熱い油を注ぎこんでやる、なんていうのはどうかな?」

スパイクは顔が二つに裂けるんじゃないかと云うほど嬉しそうに笑った。

「結構だとも、ペット。だがもっといい方法がある。蝋を使うんだ。サラダ油だと水っぽすぎて、ぎゃあぎゃあ暴れた拍子にこっちの服まで油が飛んできちまうからな」

「いいねえ。どうせヘルマウスに住んでればへんな臭いには慣れっこだし。しかも僕はあのステンチ・デーモン(注:凄まじい悪臭を発する悪魔の種族)と戦った男だぜ」

ザンダーはシリアルをごくりと飲み下してから、にやっと笑った。まるで一週間も食べ物にありついていないみたいに腹ぺこだった。それから視線を上げて、げ、と唸る。

「ああ、もう仕事に行かなくちゃ。ごちそうさま、楽しかったよ」

彼の目はぷっくりとした腫れのせいでほとんど半分閉じていて、鼻は息をするたびずきずき痛んだ。肋骨はだいぶましだったが、ちょっと急にみじろぐだけで抗議の声をあげる。

「まさか本気じゃないだろうな」

スパイクはまじまじと見返した。仕事だと?ザンダーの今の仕事は建設工事だが、スパイクの見る限り、この人間は自分のシャツを着るのに10分もかかるようなありさまなのである。

「その状態で仕事なぞできるわけがないだろうが」

スパイクは細長いカウンター・テーブルをずかずか回り込むと、ドアに向かおうとするザンダーの道をさえぎって立った。

「でも行かなくちゃ。誰かが家賃を払わなきゃいけないんだからさ」

反論を受け流し、ザンダーはシンクに向かう。

「だいたい、二週間前にも休んだばかりなんだよ。信用のおけない奴だなんて思われたくないし、それに今は内装工事に入ってるから、体もそんなにきつくないんだ」

彼は台所の流しに残りものを捨てながら答えた。だがずっと自分の頭の後ろにスパイクの粘るような視線がはりついているのを感じていた。

「ほう。それでお仲間に何があったと聞かれたらお前はどう答えるつもりなんだ」

「車で事故ったのさ」

ザンダーはにやっと笑った。

「やあ、この、嘘をつくってのも結構楽しいね。これからは君が嘘をついたときはメモをとっておくことにしよう」

彼は顔を背け、ジャケットとキーに手を伸ばした。本当は仕事になど行きたくはなかった。だが家賃のことは実際に問題だったし、それに仲間たちに、すぐ仕事を休む厄介者だと思われるのも嫌だった。これはやっと見つけた、自分でもけっこう上手いと思うし、やり甲斐を感じる仕事なのだ。だから彼は仕事に行くのである。たとえ今彼が望む唯一のことが、ただベッドに這い込んで、死んだように眠ってしまうことだったとしても。

「家賃についてなら、俺にも言っておきたいことがある」

スパイクは注意深く目を伏せたまま、ライターを手の中でいじりながら切り出した。

「俺はお前の世話になる気はない。だから俺の分の家賃はきっちり払わせてもらう。」

ザンダーはぽかんとスパイクを見つめた。家賃だって?

家を探して歩いている間も、彼はただスパイクがいっしょに暮らしてくれるということだけで大喜びしていたので、家賃を払ってもらいたいとか、折半できたら楽なんだがとか、そんなことは一切考えもしなかったのだった。それに第一、金を払うスパイクとかチップを弾むスパイクなんて、一体誰が想像できるだろう?

「スパイク、それは…君はさ、そんなことしなくっていいんだよ。つまり、なんて云うか、そういうことをしてもらいたくて君にいっしょに来て欲しいって言ったわけじゃないんだよ、僕はさ」

彼はちょっと言葉を切ってスパイクを見た。スパイクは彼のライターをこねくり回すのに心を奪われて、まるきり話を聞いてないように見える。

「なんていうの、それにさ、これは悪い意味で受け取らないで欲しいんだけど、僕が思うに、その、君が何か仕事をして金を稼ぐ、なんていうのも"らしくない"っていうかさ。だけど僕としては君に盗みなんかに手を出してもらいたくないのはもちろんだし。だから、まあともかく、家賃なんか気にしないでいいんだよ」

このときになってようやくスパイクは顔を上げた。

「ああ?お前、俺が盗みなんかに手を出すと思ってたのか?馬鹿にするなよ、俺にも金くらいあるぜ」

「そりゃ無いとは思ってないけど、でもそれはバフィーやジャイルズから貰ったお金だろ?僕は結局そういう形で誰かに頼るのは嫌だし…」

彼は口をつぐんだ。スパイクがくすくす笑い始めたからである。

「おいおい、ンなハシタ金なわけねぇだろ…ったく、この1世紀の間じゅう、俺が単にエサを探してうろつくだけのアホだったとお前は本当に信じてたのか?やれやれ、もうちょっと俺のIQを信用してもらいたいもんだよな。───あのな。俺には貯蓄があるんだよ。それも結構な額のな」

ザンダー自分の口があんぐり開くのを感じ、慌てて閉じた。なんてことだろう、この吸血鬼ときたら、次から次に驚くことばかり言い出すじゃないか。

「でも…じゃあ、お金があるなら、なんでジャイルズやバフィーに小遣いをせびってきたの?」

ザンダーは頭がぐるぐるしてきた。しかしスパイクと話すときはいつもこんな風になるな、とも思う。

「だって面白いじゃねえか。スレイヤーやウォッチャーが俺に金を払ってるんだぜ、"スレイヤーの中のスレイヤー"がさ。こんな面白いショウは見逃せねえよ」

その情景を頭に思い描いたのか、スパイクの顔に意地悪な笑みがうかんだ。彼らを騙してマリオネットを演じたり、一文無しだと思わせておくのは本当に愉快痛快だ。

「アンジェラスの子供だったお陰だよな。あの野郎はニッケルからだって血を絞り出すような奴だからよ。まあお前も俺の言うことを信じて、利息とか配当金とか事業の多角化とか、ともかくそういうクソみてぇなことについてあいつが何かぶつぶつ言ってたら、それを良く聞いておくんだな。そのほうが、頭を抱えて座り込んで、くよくよ爪を噛んでるいつもの奴の姿を観察してるより、よほど役に立つぜ。」

スパイクは数日前、ザンダーが出かけたあとにかけた電話のことを思った。実際彼は、"金ならある"どころではなかったのである。さらに彼はアンジェラスの財テク能力についても嘘や冗談を言ったわけではなかった。確かにアンジェラスはタマシイ持ちの陰気な野郎だが、しかし金というものを理解してもいた。不死の身にとっては預金利息の累積額などあまり意味を持つものではないのだが、それでも彼は今もイギリス国内のいくつかの銀行に数箇所の口座を持っていて、(そのどれも1900年初頭に開設したものだが)そのうちの一つだけでも今後20年やそこらはザンダーと自分の二人くらい何も困ることなく暮らしていけるだけのものがあったのである。

その数日前の電話で、彼は二つほど長期財形貯蓄ファンドを解約していた。だいたい自分もそろそろねぐらにしている地下墓地を出てもうちょっとマシな所に引っ越そうかと考えていたところだったのだ。

スパイクとしてはよほどザンダーに、『アパートなんか俺が探してくるからそれまでホテルでのんびり寝てろ』(勿論彼は最高級ホテルを取ってやるつもりだった)と言ってやりたかった。だが彼はそうしなかった。どんなにスパイクがそうしたかったにしろ、赤ん坊のようにあれこれ世話されるなど真っ平だと、ザンダーが反発するに決まっていたからだ。

また一方でスパイクは、ザンダーには自立しているという感覚、あるいは自分がきちんと感情や生活をコントロールしているのだという実感、が必要なのだということもまた理解していた。だからスパイクはザンダーに自力で家を探させたし、決断も任せたのである。そしてこの小僧っ子はうまくやったというわけだった。

スパイクは偽りでなくこの場所が気に入っていた。あといくつか、家具と、大画面のテレビと、新しいステレオさえ揃えば完璧だ、というくらいに。

ザンダーはただスパイクを見つめているだけだった。このヴァンパイアについて何か知ったなと思うたびに、そんなものはお前の馬鹿な憶測に過ぎないと手酷いしっぺ返しを食らわせられるような新事実が現れるのである。

「…なるほど、でも、じゃあ、なぜ君はよりによって地下墓所なんかで暮らしてたんだい?その、つまり…僕だったらもうちょっと住み心地の良さそうなところにしとく気が…」

ザンダーの声はだんだん小さくなってしまった。

「ああ、そりゃ大っぴらに"俺は金持ちだぜ"なんて宣伝して回るなんてごめんだったしよ。それに世間的には"ワル"だって思われてないとな。ともかく、イメージこそが全てを決めるのさ。もし金のかかった家に住んでれば、世間はそいつを金持ちなんだと思う。逆にじめじめした薄暗い地下室に暮らしてりゃ、そいつは即ち…てわけさ。ま、かくの如く、人間さんは単純だよ」

スパイクは得意げに笑った。

「どうだ、お前らだって騙されてたんだろ?」

ザンダーはもはや頭を振るしかなかった。

「わかったよ。もしその方が君の気が晴れるなら、家賃を折半しよう」

実際これは本当に助かることだったし、それにスパイクの財政状況も嘘があるとは思えなかった。それからおもむろに彼は時計に目をやって、あちゃあ、と唸る。

「OK、ともかく僕はもう行かなくちゃ、遅刻しちゃう。多分、7時頃には帰るから」

スパイクはドアから出て行くザンダーの後についていった。玄関を出るとエレベーター・ホールに通じる小さな廊下がある。自分達しか使わないエレベーターの前扉を持ち上げてやりながら、スパイクにはザンダーが表面ではどんな仮面を被っているにせよ、今も酷く痛みを感じていることを嗅ぎ取っていた。

「わかったよ。じゃあ俺はここで待ってるからな(I'm waiting here)」

ザンダーはさよならのかわりにこくんと頷くと、エレベータに足を踏み入れた。スパイクはザンダーの乗った箱が動き出すまで見送る。

それから小さく溜息をつき、くるりと向きを変えてアパートに戻ると、そのまま彼は寝室に直行してベッドに身を投げ出した。

疲れていたからではない。そこではザンダーの匂いがするからだった。

   *

ザンダーはドアで鍵のガチャガチャ云う音とブザーの警告音を聞き、眠たげに枕から頭を起こした。ベッドの上に起きあがって欠伸をし、それから居間のほうにぺたぺたはだしのまま歩き出す。

ここ二ヶ月で、かれらは快適な生活習慣を作り上げていた。ザンダーはだいたい6:30に起床、スパイクも一緒に起きて、それぞれの朝食を摂る。そのあいだスパイクは約束通り、一つとして同じものはない極めて独創的な"ザンダーの父親殺害方法"を語り聞かせてくれるのだった。おかげでザンダーは"スパイク(釘)"というあだ名の由来まで知ってしまった。まったく、ただの電車の線路用の5インチ釘が、かくも様々な方法で人体に使用されうるものだとは、これまで夢にも思わなかった。

それからザンダーは仕事に出かけ、スパイクはいったん昼寝する。それからたいてい2時か3時に目を覚まし、午後はだいたい本を読んだり煙草を吸ったり、気が向いたら広いリビングをトレーニングルームに改装した部屋で"運動"したりして過ごす。

ザンダーはたいてい6時か7時には帰宅し、それから夕食。その後は二人とも自分の車に乗ってパトロールに参加。このとき二人は絶対に同じ時間や同じ方向から待ち合わせ場所に着かないように気を配っていた。仲間の誰も、スパイクとザンダーが一緒に暮らしていることに気がつかなかったし、それに二人とも誰にもこの秘密を知られたくもなかった。面倒な事態になるだけだと判っていたからだ。

その後は家でテレビか映画。世間話をしているうちにいつのまにか何時間も過ぎていることもある。それからザンダーは11時か12時にはベッドに入り、いったんうとうとする。スパイクはその間一度外出する。デーモン・ハントかドライブか、それともバーで酒を引っかけてくるかだが、ザンダーは何だって構わなかった。彼はスパイクには自分から離れていることが、一人だけの時間を過ごすことが、必要なのだと判っていた。それからスパイクは大抵2・3時間後に帰宅する。そのときにはザンダーはまた起きて、彼のその夜の出来事についてふんふんと聞き入る。

それから二人はいっしょにベッドに入る。彼らは毎晩互いに身を寄せ合って眠った。スパイクの腕はザンダーを守るように回され、ザンダーはその腕をぎゅっと捕まえて寝た。鼻は完全に治り、左腕の傷もほとんど痕にならなかった。だが彼の精神は、いまだにくりかえしあらわれる悪夢にとらわれていた。そしてそんな時スパイクは、必ず彼をしっかり抱きしめて、俺がいるから大丈夫だときっと囁いてくれたのだ。

ある日家に帰ってみると、厳重なセキュリティ・システムがいきなり取り付けられていたこともある。どうしたの、と驚いて聞けば、スパイクはただ肩をすくめ、「用心するにこしたこたねぇだろ」と言った。こんなふうに、スパイクは様々な方法で彼を守ろうとしていた。一方でスパイクのほうも、ザンダーが発揮した意外なインテリア・センスに驚いたりもした。

今では巨大なテレビとステレオのセットがどんと居間に据え付けられ、まるではじめから二人のために誂えられたような家庭的な雰囲気に一変していた。とてもそこが元倉庫には見えない。黒の革張りソファ、ローテーブル、二人用のダイニングセット。テレビの両脇にはフロア・スタンドがあって、温かいオレンジ色の光を投げかけている。つましいけれど、そこは二人の城だった。


ザンダーはキッチンに入っていって、スパイクが冷蔵庫をあけるのを見ていた。スパイクは左肩にでかい斧をかついでいる。コートの背中に引っかかれたような痕があるのをザンダーは見つけた。

「どうやら忙しい夜だったみたいだね」

ザンダーはカウンターに身を乗り出してスパイクの動きを見守っていた。どんな酷い格好をしていても、この吸血鬼はサマになって見えるのだから不思議だ。

「まあな、トロルとやりあったんだ。ったく最悪だったぜ。あのデカイのをノックアウトする前に、俺の手のほうが折れるんじゃねぇかと思った」

スパイクは斧を流し台にガツンと放り込んだ。

(あったあった)

彼はギネス・ビールの缶を取り出すとタブを開けた。なにから生まれたのだか知らないが、あんな化物を思う存分ぶちのめしてあの世に送り込んでやれるなんて本当に楽しい仕事だ。彼は一気にビールを飲み干し、それからうーんと体を伸ばす。

ザンダーはただその姿を穴のあくほど見つめていたが、 口の中が急に乾くのを覚えた。彼はこのごろずっと、自分と背中あわせに眠るスパイクの存在を意識せずにはいられなくなっていたのである。どんなめくらだって、このヴァンパイアがひどくセクシーだということに気がつかないで居るのは難しい。


ザンダーは、自分がスパイクを愛するようになった時を正確に覚えている。それは今から16日前のことだった。さらに言うなら土曜の朝の2時半を回ったころだ。

スパイクと彼は「モスラ」を見ながらカウチに座っていた。飲んでもいた。それが二人の金曜の夜から土曜の朝にかけての習慣になっていたのである。だがその夜は、酔った末の下らない勝負がポップコーンを投げつけあうという、よくわからない事態に発展していた。しまいにザンダーはポップコーンのなくなったボウルを掴んで、スパイクの頭に被せようとした。

瞬間、スパイクの腕が反射的に動いてザンダーの手首を掴み、バランスを失ったザンダーはスパイクのちょうど胸の上に倒れこんだ。顔と顔が数インチのところにあって、そして一瞬、奇妙な視線を二人は交し合った。ザンダーは息を詰め、二人の体の触れ合ったところがまるで発火するみたいにかっと熱くなるのを感じた。

キスして欲しい───とそう思った瞬間、スパイクはザンダーを押し返すと、立ち上がってキッチンに入っていってしまった。それから数秒後に帰ってくると、手にはビールの缶が二つぶら下がっていて、それから二人はカウチに並んでまた下らないやり取りを続けた。

まるで何もなかったかのように。

けれどザンダーはその夜何時間も寝付けず起きていた。スパイクの目の中に確かに動いた感情が、自分と同じものなのかどうか考えて眠れなかったのである。

彼はスパイクが男であることなど構わなかった。スパイクがヴァンパイアであることも構わなかった。大切なのはただ、自分がスパイクに対して抱いている感情が、これまで感じたことのない純粋な愛情だということだけだった。

スパイクは彼の秘密を全て知っていた。知らないことなどなかったのだ。そして全てを知ってもなお、スパイクは自分といっしょに居たいと言ってくれたのだった。

だが、ザンダーは何をどう言えばいいのか、またはどうすればいいのか、見当もつかなかった。このごろでは、スパイクが吸血鬼の才能を発揮して、自分の感情を嗅ぎ取ってくれればいいのにとさえ願っていた。そうすればスパイクは、ザンダーに対して何らかの行動を起こすはずなのに。でもスパイクは何もしてこないし、言いもしない───これはどういうことだろう?

不安でたまらなかった。


スパイクは自分の筋肉の凝りを意識しながら肩をぐるっと回した。実際、彼はリラックスしようと努力していたのである───彼の緊張は、背後にザンダーを意識しているがゆえのものだった。

困ったことに、彼はここのところ次第に、ザンダーと一緒のベッドで眠るのが───ザンダーを自分の腕の中に引き寄せて、その唇にキスをしたいという衝動を抑え込みながら眠っているのが───苦痛になってきていたのである。

実は数週間前にはほとんど実行しそうになったのだ。ザンダーと自分は脳みそを腐らせるために作成されたとしか思えない馬鹿げた映画を見ていて、それからこの少年はポップコーンを使った下らない勝負を挑み、あげくはボウルを自分の頭にかぶせようとしたのである。それで反射的に彼を止めたら、ザンダーは自分の胸に落ちてきたというわけだ。

至近距離でザンダーの顔と向き合ったあのとき、彼がしたかったのは、ただほんのちょっと頭を上げて、あの唇を味わうことだけだった。…だが彼にはできなかった。どんなにそうしたくても、絶対にそんな真似はできなかったのだ。彼はザンダーをそんな風な目で見ることは───あんな風にザンダーを扱うことは、できなかった。スパイクはその事を考えるだに、もう親しいものになっていた怒りがこみ上げてきて、再び彼の脳細胞を焼き焦がすのを感じるのだ。

あのケダモノを引き裂いてやるまでは───。しかし、ザンダーはあの時、なんともいえない目で自分を見つめ返した。その目に、スパイクはほとんどありえないとは思いながらも、欲望の色を認めた。認めたかった。

だがこの考えはあまりにも彼には眩しすぎて、スパイクはそれを確かめるどころか、そっと封印してしまったのだった。


「他には何かあった?」

目を開けて見下ろしたスパイクは、視線の先にあるものを見て凍りついた。

ザンダーは職場の休み時間を使って作った手製のストールの一つに座っていた。髪はくしゃくしゃで、目覚めたばかりのせいで声もハスキーにしゃがれていた。だがそんなことがスパイクの心を奪ったのではなかった。ザンダーは上着を着ていなかったのである。スパイクはトランクス一枚で寝ていたが、ザンダーは上下とも着て寝るのが習慣だった。だから彼はちゃんとザンダーの裸を見たことはなかったのである。

はじめてみるザンダーの上半身は、日に焼けた健康的な肌とがっしりした筋肉に包まれていた。突然彼を襲った欲情の激しさに、スパイクは思わず膝が砕けるような気がした。

「いや、特にない」

スパイクは自分の体が反応し始めるのが判ったがどうしようもなかった。ズボンの中で硬く大きくなっていくものを隠すため、コートの前をさりげなくかき寄せる。

「ふーん、そう 」

ザンダーが今度は欠伸ついでに伸びまでするので、スパイクはタイトなジーンズの中で痛みを感じるほどだった。

「じゃあ、僕はもう寝るよ。君は?」

ザンダーは肩越しに寝室へ向かいながら呼びかけた。《ほんとは、ただ寝るだけじゃなくて…》

「いや。暴れてきたばかりで汚れてるし───とりあえずこのネバネバを洗っちまってからシャワーを浴びるんで、お前は先にベッドに入ってろよ」

スパイクは ザンダーが素直に従ってくれるよう祈りながら、乾いた唇を舐めた。とにかく早くバスルームに駆け込んで、今の状態に始末をつけたい。

「とっとと終わらせて早く来てよ」(注:ザンダーはスパイクがいなければ眠れないので、スパイクがベッドに来てくれるまでいつも起きて待っているのである。)

眠たげにザンダーは言った。君が居ないと寂しいんだよ───とは、口に出せなかった。

《そういう問題じゃねえんだよ》(注:「とっとと終わらせる」ことの意味を、何も知らないザンダーはシャワーを浴びることとして使っているが、スパイクにとっては「性欲処理をとっとと終わらせてくるように」という意味になるからである)

「ああ、すぐ行くよ」

欲求不満のヴァンパイアはバスルームに向かい、一方で欲求不満の人間は寝室へ向かった。二つのドアがカチャリという音を立てて閉じられた。

もしこのアパートに誰かいたら、その人は二つの小さな言葉を、吐き出された溜息を、押し込められたうめきを、二つの喉から押し出されるのを聞けただろう。 そして二つの名前が、二つの唇からこぼれるのを。

「ザンダー」

「スパイク」

と。


   *

ザンダーは震える指でまたスパイクの顔に触れた。冷えた肌に触れることで、スパイクがまだこの世に存在しているのだと確かめずにはいられなかったのだ。

吸血鬼には脈がないから、それを生命のあかしとして探すのは無駄なことだった。吸血鬼は呼吸をしないから、胸が上下することで、まだ生きているんだと確認することもできなかった。ただ氷のような肌に触れるだけ。それしかスパイクがまだ生きているのだと確認するすべはないのだ。≪注:吸血鬼は死ねば塵に還る。死体は残らない。≫

その夜,二人はいつもより早めにパトロールに出かけていた。スパイクの必死の工作も空しく,ザンダーはバフィーと組まされた。この成り行きには二人とも不満だった。互いに互いが視界内にいないと不安で仕方がなかったからだ。だがそれを他人に悟られるのもいやだった。

それで仕方なくザンダーはバフィーと、スパイクはウィロウとタラのお供という形になったのだった。全くその夜の時間の経つのがなんと遅かったことか。ザンダーはバフィーに新しくできた彼氏のことについてどうでもいいことをぺらぺら喋りまくるのをじっと我慢して聞いていなければならなかった。ザンダーの堪忍袋の尾は切れる寸前だった。(僕はスパイクと一緒にいたいんだ、君の話なんかどうだっていいんだよ!)

その時、丘の頂上に向かいかけていた二人は、キャー!という甲高い悲鳴を聞いた。

ウィロウだ!

二人は脱兎のように丘を駆け下りた。バフィーのあとに続いて駆け寄ったザンダーが見たのは、血の海だった。そこらじゅうに殴り倒された体が散らばっている。スパイクら三人組は、まだ生まれたてのヴァンパイアの巣にうっかり足を踏み入れてしまったのだ。

いくら戦いなれないヒヨッコ吸血鬼とはいえ、その数30から40とくれば話は違う。ザンダーはスパイクの咆哮を聞いた。ついにたかって来る数匹に捕まり、地面に捻じ伏せられたのだ。その叫びには切羽詰った響きが含まれていた。

ザンダーは自分の内部で何かがはじけ飛ぶ音を聞いた。

襲い掛かってくる吸血鬼を引き剥がしながら、彼のものを奪い返そうと必死だった。スパイクに辿り着こうと突き刺し、殴り飛ばし、引き裂きながら,彼の精神は眩暈がするような赤い殺意に染め上げられていた。毎朝の会話の中に混じっていた戦闘法がこんなときに役に立った。朦朧たる意識の中で,彼はバフィーがウィロウとタラに「さがって!」と叫ぶのを聞き,視界の片隅でバフィーが自分の隣で戦っているのを捕らえた。だが気にしなかった。どうでもよかった。ただ自分はスパイクを助け出したいだけだ。

スパイク───!

スパイクの喉に噛み付いて、まさに喉笛を噛み切ろうとしていたヴァンパイアを引き剥ぐと、ザンダーは雄叫びを上げながらその心臓のど真ん中に渾身の力をこめて杭を打ち込んだ。

大きく喘ぎ、横たわるスパイクを見下ろす。ぴくりとも動かない。彼は傍らに膝をついた。手が震えた。

「スパイク…スパイク。スパイク。…目を覚まして」

ザンダーはヴァンパイアから流れ出る血が大地に染み込んでいくのを見た。彼は動かない体をわしづかむと強く揺すぶった。

「スパイク…起きてよ」

声が震えていた。涙がザンダーの目から溢れた。

「ザンダー、なにしてんのよ」

バフィーが言った。

「さあ、立って」

ザンダーは猛然と唸るとバフィーの手を振り払った。

「ウィロウ…ウィロウ、スパイクは生きてるのか?いや生きてるって言ったらヘンなのか、アンデッドだもんな、でもとにかく何でもいい、彼は、彼は大丈夫なのか?」

ウィロウはザンダーの隣に膝をつくと、スパイクの上に手をそっと置いた。

「ええ。…でも、とても深刻な状態だわ」

「動かしても?」

ザンダーはがたがた全身が震えるのを止められなかった。自分はスパイクを失うところだったのだ。いや、今だって、スパイクが本当に死んでしまわないとは限らない。

「なんでそんなことしたいのよ?」

バフィーの声が上のほうから降ってきた。

「ほっとけばいいじゃない。太陽が昇る前までに気がつけば一人で無事に帰るわよ。でなかったら…ま、でもスパイクが塵に還ったって、あたしたちにはたいした痛手じゃないわ。」

バフィーはザンダーのほうを見もしなかった。タラが大丈夫かどうか確認するのに忙しかったからだ。バフィーは驚いた。ザンダーが突然自分を地下墳墓の壁に叩きつけたからだ。

「なんて冷血な女だ…!スパイクを見殺しにしろっていうのか!?」

ありったけの侮辱をこめてザンダーはバフィーの顔にその言葉を叩きつけた。

「ザンダー、いったいどうしちゃったのよ?!そいつはスパイクよ。彼はあたしたちが守らなきゃいけない人間なんかじゃ…」

ザンダーがもはや彼女を完全に無視して自分に背を向け、スパイクの元に膝をつくのを見て彼女は口をつぐんだ。

ザンダーは腕をスパイクの体に差し入れると抱き上げた。その軽さに驚く。それからほとんど走るように車に向かった。少女達が何事かというように追ってくるのが判ったが振り返りもしなかった。一刻も早く車に戻ってみんなから離れたい。スパイクに血をあげなければ…全身の血を拭ってあげて、目が覚めるまで見守っていなければ。

もしスパイクが目覚めなかったら?ザンダーはその最悪の場合をちらとも考えなかった。

バフィーが彼の前に回りこんだので、あやうくぶつかる直前で彼は足を止めた。眉をひそめたバフィーが、スレイヤーの力でザンダーの腕を掴まえたのである。ザンダーは燃えるような憎しみに満ちた目で彼女を見下ろした。

「ザンダー。何をしているのよ。頭でも打ったの?なんでスパイクなんか助けようとしてるのよ?」

「なぜなら、スパイクは僕の友達だからだ。そして僕を助けてくれたからだ。さあ、そこをどけよ、スレイヤー!」

バフィーはザンダーの声の中に含まれた氷のような冷たさにひるんだ。ザンダーは腕をもぎ放すと,動けずにいる少女たちに背を向けた。

かなり歩いてからやっと車に辿り着き、スパイクを助手席にのせる。その間ずっとスパイクは微動だにしなかった。

パニックに気が触れそうになりながら、車をぶっ飛ばしてアパートに戻ると、やっとカウチにスパイクを抱き下ろした。それから台所に駆け込んでフリーザーをぶち開け、緊急事態を想定していつも常備していた人間の血液のパックをつかむ。包装を破いてレンジをばしんと閉じ、 じりじりしながら20秒過ぎるのを待った。カウンタがゼロになるいやいなやカウチに駆け戻り、スパイクの頭を仰向かせて口に一気に注ぎ込む。

だがせっかくの血はスパイクの頬から喉をつたって零れ落ちるだけだった。ザンダーのパニックはついにここにきて頂点に達した。

「ノー、嫌です、神様、お願いです…!何でも捧げます、ただ彼だけは連れて行かないでください、お願いです…ああ、お願いだよ、スパイク、飲んでくれ…!」

彼はスパイクの汚れた頬を自分のシャツの裾で拭い、吸血鬼の口の中にさらにそそぎこんだ。今度はスパイクの喉がひくりと動いた。安堵のあまり、ザンダーの目からぽろっと涙が零れた。

「それでいい、それでいいんだよ、飲んで。飲めば元気になるから…そう、すこしずつでいいから」

直ぐに一つ目のパックはなくなって、ザンダーはもうひとパック取りに戻った。同じように急いで温めてからカウチに戻る。スパイクはまだ身動きならないようだったが,零さずに飲んだ。ザンダーはスパイクの頭をカウチにそっと戻すと、スパイクの汚れた服に取り掛かった。血まみれのスパイクの姿など見ていられなかったのだ。

彼はびりびりに引き裂かれた服をそっと取り除け、ザンダーがいちばん好きなTシャツとスウェットに着替えさせた。しかしそれでもスパイクは死んだように動かない。ザンダーはカウチに並んですわり、片手をスパイクの胸に、片手ではスパイクの頬をそっと撫でていた。

「お願いだよ…目を覚まして。目を覚まさなきゃだめだ。僕はまだ君に言ってないことがあるんだよ…どんなに君が僕にしてくれたことが嬉しかったか、どんなに君が大切な存在か、まだ云ってないんだよ…ね、目を覚まして…」

ザンダーは何度も何度も同じ言葉を繰り返した。全身が震えていた。

「Please(お願いだ)」

けれど答えはかえらなかった。

もう耐えられなかった。闇雲に彼は手を伸ばすと、ガラス製のテーブルの角に手首を押し当てるや、ぐいと思いきり掻き切った。 そしてスパイクの口に押し当てる。

「飲んで。頼むから。前にもやったろう、飲んでよ」

だが何も起きなかった。

彼はついに嗚咽しはじめた。

「スパイク…僕を置いていかないで…君がいてくれなきゃ…君なしじゃ、僕はこんなところにいられないよ…飲んでよ…」

あ───。

突然の引き寄せられる感覚に、彼は頭を仰け反らせながら目を閉じた。

この感覚、この感覚こそが、ずっと願って,夢に見ていたものだった。スパイクの口が、彼の中に自分を引き込もうとしている。それは至高の快楽だった。

ザンダーの頭ががくりと落ちた。急速に意識が遠くなっていく。だが彼は身を引こうとはしなかった。スパイクが生きていればそれでいい。

がしりと冷たい腕が彼の背中をつかむのを感じた。それから腕がもぎ離される。ぜい、ぜい、という荒い息遣いが聞こえた。

「ザンダー、おいザンダー!何とか云ってくれ。なんでこんなことをした。お前をあやうく吸い尽くしちまうところだったじゃねえか!」

あれはスパイクの声だ…スパイクの、嗄れ声…スパイクが僕を呼んでる…。

目を開き、ザンダーはぼんやりする視界の焦点をあわせようとした。

「君…意識が戻ったんだね…?」

ザンダーは微笑んだ。ああ、これで世界は元通りだ…。

「ああ。」

スパイクは答えながら、一方で頭をフル回転させて記憶を探った。襲撃されたことは覚えている。地面に叩きつけられた時の怒りも、これでザンダーと、彼の愛する存在と、永遠に引き離されるのだという思いが掠めたときの、恐怖も。でもそこからは一切記憶がない。

次に覚えているのはザンダーの声だった。それから顔に落ちてきた温かい滴。ザンダーの涙だ。それからザンダーの熱い血が自分の中にどっと流れ込んできた。昏睡から自分を引きずり戻したのはこの血だ。それからパニック。ザンダーの心臓の鼓動が遅くなって、生命の香りが薄くなっていった。それで彼は強引に身をもぎ離したのだ。そして今ザンダーは幽霊のように青ざめて、カウチにぐったりと体を預けていた。

「ザンダー、なんであんなことをした?畜生、俺はおまえを殺すところだったんだぞ!こんなことは二度とやってくれるな。いいか?二度とだ!」

スパイクの鋭い声が空気を裂くように響いた。

《絶対に、もう二度と、お前を失うなんて耐えられん。先に自分で杭を打って死んだほうが俺はまだマシなんだ》

「君が…もう二度と目を覚まさないんじゃないかと思ったんだ。帰ってきても君は全然意識がなくて…冷蔵庫にあった血も全部飲ませても、君はまるで動かなかった。僕には、僕には耐えられない。君を失えない。だからこうするしかなかったんだよ」

ザンダーはバトル・フォームに変貌しているスパイクの眉間に刻まれた皺に手を伸ばし、そっと触れた。

スパイクは身じろいだ。まだ吸血鬼の顔ままだとは気付いていなかったのだ。変貌を解き、ザンダーを引き寄せると、彼はしばらくじっと少年の体を抱きしめた。たしかに少年はここにいるのだと確かめるように。

「───ラヴ。あんなことしなくても、いずれ俺は意識が戻ったんだ。ヴァンパイアは重傷を負ったときは、一種の昏睡状態に入って傷をいやす。たいてい24時間もすればすっかりもとに戻って目が覚めるんだ。まあ、腹は空いてるが、だがあとは問題ない」

スパイクは濡れた頬が自分の肩口に押し付けられるのを感じた。

「あんなことをする必要はなかったんだよ」

少し身を引いてザンダーの顔を覗き込んで、彼は固いしゃがれ声で言った。

「約束してくれ。もう二度としないと」

ザンダーは首を振った。

「嫌だ。そんなこと約束できないよ」

スパイクがザンダーの背中に当てている手にぐっと力をこめた。

「ザンダー。俺はマジで云ってるんだ。もうやらないと約束しろ。もし俺が自分を止められなかったりしたらどうする。もし万が一にも…」

その先まで言うことはできなかった。ザンダーを抱くスパイクの両手が震えていた。

「それでいいんだ」

ザンダーの瞳が異様に輝いてスパイクを見つめていた。

「───なんだと?」

「いいんだよ、それで。君が生きていてくれさえすれば、僕はそれでいいんだ」

奇妙なほど確信めいた口調だった。

「なんで…」

スパイクの声が掠れた。

「なんで"それでいい"なんて云えんだよ?お前が死んだらどっちみち俺だって生きちゃいられねえんだよ!」

口走った失言の意味に気付いた瞬間、彼は低くうめいてザンダーから顔を背けた。

(ちくしょう、何てことを言ったんだ俺は!)

この瞬間、自分はお前を愛していると告白したも同然だった。後悔のあまり彼は目を閉じた。一瞬後、ザンダーは気持ちの悪い奴だと自分の腕から逃げだすにちがいない。

「だからだよ」

ザンダーの震える声に、ふっとスパイクは目を開いた。

「だから、それでいいんだよ。君がいなくなってしまったら、僕もここにはいられない」

ありったけの勇気をかき集め、ザンダーはスパイクの目をまっすぐに見上げた。

「君がいてくれなければ、僕は生きていけない。」

静かにそう囁くと、彼は身をよせ、言えなかったありたけの思いをこめて、冷たい唇に自分の唇を押しつけた。

スパイクに押しのけられたとしても構わなかった。気持ちの悪い奴だと罵られても、軽蔑されても、構わなかった。自分が愛した唯一の相手を自分は失いかけたのだ。もうこれ以上無駄な時間を費やしたくなかった。

スパイクはザンダーの唇が触れ、ザンダーの舌が自分の唇のラインをなぞっていくその感触を、奇跡を見るような思いで追いかけた。その熱さに、彼は我を忘れた。口を開けて迎え入れ、情熱に情熱で返した。互いに溶けあってしまおうとするかのようにザンダーを強く引き寄せる。血など、これに比べたら何ほどのものでもなかった。

ザンダーの舌が自分の口中を探りあげ、温かいザンダーの両手が自分の髪を梳きあげ、彼の、ザンダーの、二人の、欲情に乱れた喘ぎが小さく漏れる。

ついに二人は身を離した。互いに額を押し当てあったまま、浅く息を吐いていた。

「スパイク、」

声が掠れた。あとほんの少しの勇気を出して。さあ、言うんだ。

「ザンダー」

呼ばれた自分の名前には、自分と全く同じ欲望が───欲情が乗せられていた。

「スパイク…」

ザンダーはスパイクの胸に身を寄せ、片手でそっとスパイクの頬を包んだ。スパイクがその掌にほお擦りする。目が合った。互いが互いの目の中に自分を見た。まるで永遠に思えるような一瞬。

「スパイク」

この一文字に全ての思いを託してザンダーは囁いた。それはほとんど溜息に近かった。

「判ってる」

静かな声だった。

「俺もだ」

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