Waiting Here-Part Thirteen -

 

バフィーは警官をまじまじと見つめた。まさか。彼女は信じられない、というように頭を振った。まさか。なんですって?この男は一体何を言っているのかしら?
拳を握って、彼女は道を塞いでいる警官の鼻先に立った。いいえ。そんな馬鹿なことがあってたまるもんですか。

「ですから、お嬢さん。何度も申し上げましたように、ここから先は立ち散り禁止なんです。これは刑事事件で、事情聴取中なんですから」

「どけって・言ってる・でしょ」

バフィーは警官を睨み上げた。激しい憤りに声が震えた。このとんまは邪魔をしていやがるのだ。それはつまり、誰だか知らないがザンダーを殺しかけた奴を守っているということである。

問答無用に投げ飛ばしてやろうと馬鹿な警官に手を伸ばしかけたとき、ジャイルズが後ろからバフィーの肩をぎゅっと掴んだ。

「オフィサー、失礼だが…」

ジャイルズは強引にバフィーを警官から引き離すと、何すんのよ、と叫びかけたスレイヤーを無視して警官と彼女との間に割り込んだ。

「我々はその…被害者、ですね、被害者の友人なんです。」

ジャイルズは自分で思い当たったその"被害者"という単語に我ながらひるんで、一瞬言葉に詰まった。

「─ですから、我々としては何が起きたのかを知る権利があると思うんですよ」

時にはスパイクにさえ聞く耳を持たせることができる、例の最も権威と信頼にみちた顔つきで、ジャイルズは警官に話し掛けた。バフィーはジャイルズの腕の中でじたばたし始める。

「離してよ、ジャイルズ!なんであなた…」

気を吐くバフィーの耳に口を寄せて、ジャイルズは囁いた。

「ここには一般市民も警官もいるんだ。へたな注目を集めないほうがいいだろう?」

バフィーは冷静な答えにちょっと目を見開いて、それから唇を噛んで小さく頷いた。頭に来る。

ジャイルズは正しい。だが彼女は正しいジャイルズには、いつだって頭に来るのだった。

話のわかる大人を相手に出来ると、警官はほっとしたようにジャイルズに向き直った。

「さっきからその子にずっと云ってますように…」

バフィーは"その子"という言葉にかっと気色ばんだが、ジャイルズの手が万力のように彼女の肩に食い込んだ。

「いまは犯人の取調べの最中なんです。ですから入室は許されないんですよ」

警官の声は少しばかり和らいでいた。この興奮ぶりからして、この人々が被害者を心から案じている良い友人であるのは間違いないようだ。

「ね、皆さん、よろしいですか。こんなことをしでかした憎むべき犯人は我々に撃たれたんですから、今更どこにも逃げられやしませんよ」

無線で聞いたことが事実なら、一箇所を除いてはどこにもいけない、ということだが。

彼は綺麗な顔立ちの金髪の少女を見下ろした。少女は瞳に炎を宿して、自分をしっかと見つめている。まるで今にも犯人に飛び掛って、ミンチになるまで引き裂いてやる、と言わんばかりの顔だった。そしてもし、今ベッドに手錠で繋がれている男が、本当に自分の息子を刺したあげくにレイプした犯人であるというのが事実なら───実際のところ、彼としては喜んでこの少女を中に案内してやりたいという気持ちだった。だがそれは不可能なのだ。

「お嬢さん。あなたのお友達についていてあげなさい。意識が戻った時、きっと嬉しいと思いますよ」

バフィーは睨み返した。いいえ。あたしはどこのどいつがあたしの友達をこんな目に遭わせてくれたのか、なんで自宅に押入ってまで襲ってくれたのか、それをこの目で見届けずには引き下がりはしないわ。

苛々と彼女はジャイルズを見上げた。

「いやよ。あたしは行くわ」

突破しようとしたバフィーを止めたのは、今度はウィロウだった。

「バフィー、私も同じ気持ちだわ。でもこの人の云ってることは尤もよ。今はあたしたちは邪魔しちゃダメよ」

ウィロウの声は震えていた。ザンダーは彼女の幼馴染、家族にも等しい親友だった。その彼が、今はズタズタの姿でベッドの中で眠っている。その下手人はそのドアのすぐ後ろにいた。だがどうすることもできないのだ。───まだ。

「ザンダーのところに行こう。あとであの親切な女の警官が寄ってくれるかも。そしたらきっと事情を、教えてもらえるわ」

バフィーは憎憎しげに立ち番の警官に最後の一睨みを送り込んだ。可哀想に、警官はまるでひっぱたかれたみたいに、スレイヤーの眼光に縮み上がった。

「理性の声に従えってのね。結構、そうしようじゃないの」

くるりと向きを変えて大またにザンダーの病室に向かいながら、不意に彼女を撃った考えがあった。このやり場のない怒り、これこそはスパイクが感じているものではないか?何も出来ない、自分の愛する人を守れない、その怒り…。

胃が捩れるような気がした。スパイクがどんなにドルーを守ろうと必死になったかを、彼女はよく覚えていた。スパイクはそういう人なのだ。彼は愛する者を守るためならどんな手段を用いることも辞さなかった。それが譬え憎むべき敵と手を結ぶということになるということでも。そしてザンダーへのスパイクの思いは、ドル−と比較しようもなく深いものだと、彼女は知っていた。だが今のスパイクは、本性の赴くまま復讐に走ることもできない。何もできず、ただあそこに座って、待っているだけだ。

彼女の内部で、なんともいえないどす黒い炎が揺らめき燃え上がった。

結構。待ってやろうじゃないの。けれどこの時間を無駄にはしないわ。スパイクに復讐のチャンスを与えてやるとしようではないか───彼の名の由来になったスパイク(鋼鉄製の15cm釘)の使い方を、自分がそっくりマスターして、それをそのまま犯人に"実践"してやることで。

少女達はいつものように、バフィーを頭にザンダーの病室に向かっていた。遅ればせながらジャイルズが、どこか心配そうにバフィーの隣に身を寄せて尋ねた。

「バフィー…さっき君が言ったことだが、つまりはどういう意味なんだね?」

彼は漠然とした不安を覚えていた。

彼としてはザンダーをあんな目にあわせた人間が死に値する、という考えには大賛成だったが、しかしウォッチャーという立場上…スレイヤーが最も犯してはならない罪は、殺人なのである。それでもって、さっきバフィーが言ったことばは、まさにそのことを意図しているようにしか聞こえなかったのだが…。

「スパイクは手を出せないでしょう。だからあたしが彼に代わってやってやる、ってことよ」

その言葉はほとんど感情がないくらいに平坦だった───だがそれこそが、いつも陽気な彼女の内側で、今燃えている憎悪の炎を隠すためのものであることを証明していた。

「バフィー…」

彼は眼鏡を外した。いつもならそれで彼は自分の気持ちを落ち着けてものを考える役に立つのだが、今日ばかりはそうは行かないようだった。

「君だって殺人を犯せないのは彼と同じだよ」

とつぜんぴたりと足を止めたので、アンヤはジャイルズに激突する寸前で踏みとどまった一方、ウィロウとタラはバフィーの背中にほとんどそのまま衝突してしまった。ジャイルズを見上げた彼女の表情は、冷静さから程遠い激情に紅潮していた。

「誰が殺すなんて云った?」

殺人がダメなんてわかってる。けれど、人間を痛めつけるのもいけない、なんてことまでは誰も云ってなかったんじゃないかしら?

アンヤは我が意を得たりとばかりに嬉しそうに頬笑んだ。それでこそスレイヤー、そう来なくっちゃ!

「そうよジャイルズ。 確かにスレイヤーが殺人に手を染めることは許されてないわ。でも長年生きてきて、スレイヤーは人間に怪我をさせるのも許されない、なんて云った人に会った事もアタシはないわ。それにバフィーはこれまでうっかり誰かに怪我させたこともあるけど、なんともなかったじゃない?てことは、ちょっとばかり───死ぬ寸前くらいまで、怪我をさせるのなら大丈夫ってことよ。そういうことならアタシ得意よォ」

彼女はワクワクと魔女二人組みを振り返った。彼女だって他の仲間たちと同じくらい心底頭に来ていたのである。結局のところ、ザンダーを振ったからといって、彼女の彼への基本的な好意が変ったわけではないのだった。

「トカゲの目をたくさん手に入れられるとこ知らない?それを磨り潰してペーストにしてねえ…」

ジャイルズは彼女の瞳の危険な輝きを目に留めて、素早くその続きを遮った。

「バフィー、確かにそれは事実ではあるが、しかしこれは警察の問題だよ。犯人は撃たれた上、もう逮捕されているんだ。我々に出来ることはもうないのだよ」

云いながら、彼は自分の声に微かな失望が滲んでしまうのを認めざるを得なかった。

「ジャイルズ、警察に何が期待できるっていうのよ?どうせ数年かそこら刑務所にぶち込んで、それで終わりよ。ふざけるんじゃないってのよ。それだけで済むと思ったら大間違いよ!」

彼女は昂然と言い捨てると、ザンダーのいる病室へと、ふたたび大またに歩きだした。

「こいつに手を触れるな!」

スパイクは男たちを相手に、爪先同士がぶつかるほどの距離で喚いていた。

深い眠りに落ちていた彼は、何者かが部屋にいることを感知するや一瞬で意識を取り戻した。するとそこには、眠っているザンダーを(信じられないことに)揺り起こそうとしている奴らがいたのである。

とっさにあやうくバトル・フォームになりかけたスパイクは、ちりっと警告するように身内を炙った痛覚のおかげで人間の姿を保つことが出来た。

ここに───愛するものの傍に居るためには、自分はなんとしても人間の姿でいなければならない。そうでなければ、ザンダーを守ることが出来なくなってしまうのだ。今更だが。

「サー、すみませんが、お話を伺う必要があるんですよ」

刑事の一人が怒りの波動を漂わせているスパイクを宥めようと、敵意のないことを示すため、両手をホールド・アップしてみせた。

《連中の云ったとおりだな。まるで野獣だ》

ヒーリー巡査は前もって、ザンダーには非常に獰猛なボーイフレンドがいるから、事情聴取の際はぜひとも態度に気をつけたほうが良いと忠告してくれていたのであった。

はいはいありがとう気をつけるよ、と彼らはヒーリーの言葉にいい加減に頷いていたのであったが───今自分達の前に立ちはだかる相手の、どこか人間離れした捕食生物じみた眼光を受け止めることになろうとは、全く予期していなかった。

「サー、」

もう一人の刑事が切り出したが、禍々しく光る青い目が自分をぎろりと睨み据えるのを見、言葉を切った。凄まじい威圧感だった。彼は必死で息を吸って呼吸を整えた。

「サー、我々は、ただ何があったのか、ご本人に直接伺いたいだけなんですよ」

彼は相手が落ち着いてくれることを期待しながらいっしょうけんめい穏やかに切り出した。しかしながら、彼の前で眦を吊り上げている青年から返ってきたのは、低い唸り声だけだった。

「ふざけるな。病人に何を聞くつもりだ」

低い唸り声は、蛇がしゅうしゅうと威嚇するような響きに変った。

「貴様らはもうとっくに調べてあるだろうが。あのクソ野郎が押入って、こいつを刺して、…」

スパイクは脳裏に浮かんだその情景に、一瞬きつく目を閉じた。

「…刺して、強姦して…」

その続きが出なかった。彼は目を伏せた。必死で怒りをコントロールした。それからふたたび視線を上げた時は、凄まじい彼の自制心を裏切って荒れ狂う内心を語るのは、僅かに震える彼の声と、虹彩を縁取る黄色い禍々しい光だけだった。

「あんた達が到着して、あの外道を撃った。そしてここに連れてきた。」

スパイクは大きく息を吸った。

「これ以上何も言うべきことはない。出て行け。」

人の入ってくる音に刑事達は振り返った。小柄な金髪の少女に、中年くらいの男、小柄な赤毛の少女はもう一人の少女と腕を組んでいて、それから後もう一人、やはり同い年くらいの少女。

「スパイク、どうしたの?この人たち誰?」

ウィロウは素早くスパイクの危険な状態を見て取って傍に身を寄せると、落ち着かせようとしながら手をそっと握り、尋ねた。

「誰でもない」

スパイクはぎゅっとウィロウの手の平に爪を食い込ませるほど強く握り締めながら、しかしまだ刑事らを睨みつけたまま答えた。

「サー、ご本人の証言がないと捜査できないんですよ?」

刑事はくいさがったが、今度は金髪の少女が自分の前に立ちはだかる、という結果を招来する羽目になっただけだった。

「ダメよ。彼は休んでるの。放っておいて上げて頂戴」

バフィーは胸のまえで両腕を組んだ。これならあたしにもできる。ザンダーを守るささやかなお手伝いだ。

「あのね、我々は別に彼に危害を加えようってわけじゃなく…」

≪おいおい、そろいもそろって…≫

「…スパイク…」

その小さな呼び声に、人々はいっせいに動きを止めた。スパイクは身を翻すとすぐさま枕もとに飛びついた。

「ここにいる、ラヴ。ここにいるよ」

彼は片手で氷に手を伸ばし、もう片手でザンダーの髪に指を走らせた。この茶色の目を見ることが出来るだけで、彼は心がちぎれそうな気がした。

「気分は?」

他の全ては彼の世界から退いていった。ただザンダーだけが残ればいい。そり外の世界がどうだろうと、彼は興味なかった。

「刺されたような気分がするかな…」

ほとんど聞き取れないほどのかすれ声で云って、ザンダーは微笑した。一瞬、スパイクは黙って少年を見下ろした。

「───おい。冗談ごとじゃないんだぜ。俺は笑えねえよ」

彼は腕を伸ばすと、恋人の手を取った。

ザンダーはスパイクの瞳だけを見つめた。痛かった。どこかしこも、からだ中が痛かった。切開された胸の傷跡は燃えるようだった。肋骨は呼吸するたびごとにきしみを上げた。父親が自分の中に押入ってきたときに引き裂いていった傷のありかも、ここだと示すことができるほどに、彼には判っていた。だがそんなことはどうでもよかった。そんなことはみんなどうでもよかった。自分はスパイクの手を握っていて、スパイクの指が自分の髪を梳っているのを感じていて、優しく慰める低い声が耳殻を通って聞こえてきていた。だから彼は幸福だった。あの瞬間、もう永久に、この声を、この指を、この瞳を、失ってしまうのだと覚悟した。それに比べれば、彼は今、とてもとても幸せだった。

やがて彼は、なんだか部屋がいろんな人で一杯だということに気がついた。仲間達と───それから見知らぬ男たち。バフィーと何か争っている。

「スパイク…なにを騒いでいるんだろう?」

「お前に用事とかいう馬鹿どもだ。スレイヤーが追っ払うさ」

スパイクはザンダーに差し込まれているチューブやワイヤーを引っ張ったりしないように細心の注意を払いながら青ざめた肌をそっとなぜた。

「痛むか?ドクターを呼ぼうか」

「いや、大丈夫だよ」

スパイクが馬鹿にしたように鼻を鳴らしたので、ザンダーは訂正した。

「オーケー、大丈夫じゃないよ。でも知ってるんだろ、」

彼はちょっと息を吸った。知りたくはないが、けれど知る必要があった。

「知ってるんだろう───何が起きたか」

「ああ。警官がヤツを撃ったことは知ってるか?」

ザンダーの顔に突然羞恥の影がかすめたのを見て、スパイクの目に黄色い光が宿った。ザンダーは知られたことを恥じているのだ。そんな必要はないのに。

スパイクは深呼吸した。彼には呼吸の必要はなかったが、そうすることで彼は身のうちで燃え上がる憤怒から、なんとかして意識を逸らそうと思ったのだった。

「生きてるのかい?」

「まあな。だがそれも長くはない」

近いうちに殺してやる。───という、その言葉は声に出されてはいないのに、ザンダーははっきりと自分の耳で聞いたように思った。彼はただ頷くしかなかった。

彼はバフィーと争っている二人の男を見上げた。相手はほんの小さな女の子なのに、彼らプロの警官がどうすることもできないでいることを彼ら自信驚いている様子に、ザンダーは再び少し笑った。スパイクは興味もないというようにチラッと目をやっただけだった。

「アホなオマワリが、話を聞かせろだのなんだのと…クソして寝てろと言ってやりな」

スパイクはバフィーが彼らを引き止める様子を見ながら、やるじゃないか、あの女も役に立つもんだ、と少々感心していた。

ザンダーは再び頷き起き上がろうとして、そのとたん襲った激痛にひっくり返った。

≪これはだめだ≫

「あの、スパイク…彼らは何を聞きたがってるんだろう?」

「知らん。どうでもいい。」

「スパイク。」

ザンダーはため息をついた。

「僕は事情聴取を受けるべきだと思うけどね」

確かにうまくやれるとは思えなかった。あまりにも消耗していたし、薬のせいで頭はかすみがかかったようにぼんやりしいていた。けれど、早くやったらそれだけ早くケリがつくのだ。

「だめだ」

スパイクは断固としていった。ザンダーの気分を乱すようなことは誰にもさせられない。いつかはその必要があるにせよ、ともかく今はダメだ。今の、この、黒いくまが目の下にぐるりと円を描いて張り付き、鼻にはチューブが差し込まれ、胸の手術痕にドレーンが差し込まれている間は。

「絶対にな」

「スパイク。僕だって嫌だよ。でもしなきゃいけないんだ。でなきゃ彼らは永遠に僕たちから離れやしないよ。それに───」

小さな笑みが彼の顔をかすめた。

「まだ多少ラリってるからね。何を言ったかなんて、後ではすっかり忘れてしまうにきまってるよ」

≪このうそつきめ。尻に火がつくぞ≫

壁に叩きつけられたときの手の感触。罵声。ナイフを振りかざしたとき父の顔にあった、病的な笑み。肉にナイフが沈み込んでいったときの音。身がふたつに裂かれる激痛。体中の血が一箇所の出口に集まり、そこからぶちまけられていく感覚。そして苦痛───それはスパイクに、二度と、決して自分は触れることはかなわないし、決して彼の名前を呼ぶこともできないし、そして愛していると言うことももう二度とできないのだ、という、すさまじく恐ろしい認識だった。それら全てのものがぜんぶ、彼の中で身を焦がさんばかりに燃えていたのだった。

忘れることなどできるはずがない。二度と、あの感覚、あの感情、あの苦痛を忘れることなどありえない。

「許さん」

ザンダーの心を乱すようなことはけしてさせられない。決して、だ。

≪こんなに青ざめ切っているのに、そんなことさせられるものか≫

「寒いだろ。ここには他に毛布はないのかな」

スパイクは頭をめぐらせて、

「レッド、一枚毛布をくれ。寒そうなんだ」とウィロウに頼んだ。

「スパイク。」

バンパイアは、恋人の声に含まれる響きを察して、いやいやながら振り返った。

「頼むよ。これは僕の義務なんだ。逃げることはできないんだよ」

スパイクは黙って見下ろした。この顔は知っている。その時に云った、その言葉も。

『そりゃ君は、気に入らないとか腹が立つとかもっとこうすればいいとか、何とでも云えるさ。ほんとうに全く、僕が経験してるのは人類がしてきた経験の中でも最悪に属することだろうよ。でも僕はその中で生きてこなきゃならなかったし、そしていまも、その中を生きてるとこなんだよ』───

スパイクはもう一つ、ため息を落とした。

「わかったよ。だが他の連中には出て行ってもらおう」

オーディエンスは必要ない。ザンダーは、まだ誰にも───自分にすら、云っていないことがあるはずだ。彼はそれを察していた。

刑事は彼の過去について洗いざらい尋ねるだろう。彼にはついに"そのこと"を俎上にあげて他人と会話しなければならないときがきたのだ。そしてそれは同時に、認めなければならないということでもあった。それは全て、実際に起きたことだったのだ、という、彼自身もあれほどの目に合いながら、それでもどこかで否定したがっていた、残酷な事実を。

「うん…そうして。」

云って、ザンダーは小さく身震いした。彼はまだ、事が現れたときの友人の顔に、面と向かう勇気はなかった。

「わかった。」

スパイクは身をかがめ、すばやくキスを落とし、すっと立ち上がった。

「よし。じゃあお前ら。おれにとっては不本意極まりないことだが、こいつがお前らと話してやってもいいと言ってる。だが他の連中はみんな出て行くんだ」

いっせいにあがった抗議を無視して彼はドアを指差した。

「出てけ。今すぐだ」

底に含まれている低い恫喝が、選択の余地はないのだと告げていた。

ジャイルズはまだぶうぶう言っている女どもを集めながら、スパイクの視線を捕らえていた。酷く不安な気持ちが彼の中にもたげていた。

もしザンダーが普通の事情聴取をされるなら、彼ら全員をここから追い出す必要はないはずだ。殺されかけた経験を語るのは確かにつらいことだが、だからこそザンダーはそれを二回も喋りたくはないだろう。

だが、いかなる質問もはねつける厳しい態度でスパイクがドアをガンと閉じる音を、ジャイルズは彼の背後で聞いただけだった。


ザンダーは重く息を吐き出した。最悪だった。

刑事らは礼儀正しく、冷静だった。だがしつこかった。彼らは何が彼の身に起きたか、すっかり話させるだけではなく、なんどもなんども繰り返し同じ質問をした。ザンダーは怒り心頭に達した吸血鬼が、彼ら刑事の喉首を掻っ切ろうとするのを必死で止めなければならなかった。

スパイクは彼の隣に座って、ザンダーに彼の持っている力を注ぎ込もうというかのように手を握り、水を時折さしだしていた。だがいちばん最悪なことは、彼らがレイプに関して質問し始めたときに始まった。

彼は本当に、あまりそのことをよく思い出せなかったのだ。いったん刺されてしまったあとはその激痛に失神しかけていたから、彼はズボンが引き摺り下ろされたときの感覚を『そんな感じがした』という程度にしか覚えていなかったのである。

しかし刑事らは彼に質問しつづけ、攻め立て、そして彼はついにスパイクにすら言っていなかったことまで喋らされていた。

そして彼は実のところ、スパイクが背中を刑事達に向けていたことを大いに喜んだのだった───彼が、「それ」はいつも二階から階段を下りてくる足音から始まったのだと言った瞬間、怒りくるったスパイクが完全に吸血鬼に変貌してしまったからである。報復を叫んで滾る炎が黄色い目の中に燃え上がった。片方の手はザンダーの手を握り締めていたが、もう片方は鉄製の椅子のアームを握り潰してしまったのである。

話し終えたとき、彼は名刺を差し出された。スパイクは刑事らを外まで送りだし、再び彼の側に座った。

ザンダーは泣き出した。だが一息一息がただ痛みを増幅していくだけだった。スパイクは看護婦を呼ぶ前にほんの一瞬だけザンダーを抱きしめると、鎮痛剤を処方してくれと、来た看護婦に頼んだ。

薬はよく効いた───彼はすぐに眠り込んでしまい、そして目が覚めたとき、彼は抑えた声で口論が戦わされているのを、ぼんやりと、それからしだいにはっきりと、聞くことになった。

「いいか、ウォッチャー。こいつはお前のくそったれな仕事とはなんの関係もないことだ」

「スパイク、」

なだめるようなジャイルズの声。

「冷静になりたまえ。遅かれ早かれ、我々は何が起きたのか知ることになるんだ。これは単なる犯罪じゃないんだろう?いったん警察の公式発表がだされたら、みんな知ることになるんだよ。だったら今話したって同じことじゃあないのかね」

スパイクが部屋を行ったり来たりする物音が聞こえた。

「───いや。それはザンダーが決めることだ。それを話す権利はあいつにしかない。もしあいつが話したくないといったら、お前らは速攻で出て行ったほうが身のためだ」

「我々は彼を傷つけようとしているわけじゃないんだよ。ただ何が起きたのか知りたいだけだ」

ジャイルズはさらに続けようとしたが、ぞっとするような唸り声によって断ち切られてしまった。

「そいつはあんまりにも手遅れってもんさ!何年も前に知ってたってよかったのに、とことん目くらだったんだ!」

「いったい何のことなんだ」

ジャイルズはやれやれとでもいうようにため息を漏らした。

「まったく、秘密を守るにもほどがあるよ。何だろうと、こんな目に合う以上の悲劇などないんだから」

ハ!と、スパイクは鼻息も荒く吐き捨てた。

「くそったれの人間どもめ…悪については何でもご存知ってか?思い上がるのもたいがいにしろ! 貴様らは"悪"や"悲劇"の半分も知っちゃあいない。自分じゃお利口と思ってるかしらんが、まん前にぶら下がってるものも見えちゃいねえんだよ。」

「スパイク、なにを言ってるんだ?」

困りきったようなジャイルズの声が聞こえた。

「言ったとおりさ。これはクソったれなウォッチャーの貴様には何の関係もないことだ。出てけ」

「そうはいかない」

ザンダーはついに目をこじ開けた。それ以上聞いていられなかったのだ。

「二人とも、静かにしてくれない?」

スパイクが飛び上がってザンダーの側に馳せ寄った。

「どうしたんだよ」

見回した部屋の中にいるのはザンダーとジャイルズの二人だけだった。

「みんなは何処に行ったんだい」

ジャイルズが近づき、見下ろしながら答えた。

「何か食べてくるように送り出したんだよ。気分はどうかね?」

「刺されて、そんで治療を受けた後って気分だね」

それからザンダーは見つめ返した。

「で、喧嘩のテーマは?」

「こいつのアホさ加減についてさ」

「ザンダー、私はただ心配しているだけなんだよ」

「貴様は正真正銘のアホだ」

「いいか。私が君の侮辱にいつまでも耐えてると思ったら…」

ザンダーは再び割り込んだ。

「二人とも、基本に戻ろうよ。───一体何について喧嘩していたのさ?」

スパイクはジャイルスに憎憎しげな一瞥を放ってからザンダーに向き直った。

「何が起きたのかを知りたいんだとよ。ウォッチャーの仕事には関係ないと言ってんのにバカすぎて判らねえのさ」

「ザンダー。私は仕事で事情を聞きたいと云ってるわけじゃないんだよ。これは単なる押し込み強盗なんかじゃないんだろう。我われは、本当に何が起きたのかを知りたいだけなんだよ」

それは本当の配慮と真情に溢れた言葉だった。

彼はここ数時間のあいだ何の情報も得ることができなかったが、警官たちはただ一つだけ、逮捕礼状が出たことだけは教えてくれていた。しかしそれ以上のことは何もなしだった。

だが───彼は血も凍る思いがしていたのだ。刑事達が部屋を出て行って、スパイクがナースを呼びに出て行った直後、入れ替わりに病室に入った彼はあるものを発見していた。

それは名刺だった。スパイクがサイドテーブルの上に投げ出しておいたものだ。その印字を見たときジャイルズは心臓が止まるほどの衝撃を覚えて息を呑んだ。

特別犯罪局。その名はある捜査局の婉曲的表現として有名だった───「強姦・性暴力犯罪捜査局」の。

「たとえ何であっても、話してくれていいんだよ」

スパイクは頭を跳ね上げた。ジャイルズの言い方のどこかに、彼を不安にさせる微かな声音が潜んでいた。

「ウォッチャー。出ていってくれ。おれは大の親友としばらくプライベートな話をしなくちゃならん」

スパイクは嘲笑的なポーズを崩さぬように勤めながら、この腹が立つほど有能なウォッチャーの目が彼の動揺を見過ごすことを祈った。ジャイルズは判った、と頷いた。しかし全く誤魔化されなかったのは明らかだった。

「いいだろう。外で待ってる」

スパイクはザンダーのもとに戻ってきて、枕を寝心地のよいように整えてやった。ザンダーはスパイクの心遣いに感謝しながら黙っていたが、ついにスパイクの手首を掴んだ。

「スパイク。何が気に入らないの?何か言いたいことがあるんだろ?それならちゃんと言ってくれよ───もしか君、怒ってるの?昔のことを全部言わなかったから、黙ってたから…」

再びこみ上げた涙が頬を滑り落ちた。

「何をバカなことを。そんなわけないだろう。」

スパイクはザンダーの顔を両手で包みこんで、自分の目に視線をあわさせた。

「お前に腹を立てる理由などあるものか。俺はあの人間のクズをいつか焼却炉に放り込んでやろうとは思ってるが、でもお前はそのことを恥じたり、そのことで悩んだりする必要はないんだ。」

スパイクはザンダーを自分の腕の中に抱きしめたいという衝動を殺して、すばやくザンダーの額にキスをした。

「ったく忌々しいチューブだ。抱きしめることも出来ねえ。だから病院なんぞ大嫌いなんだ」

スパイクは一瞬目を閉じた。話を切り出す前に、心構えが必要だった。どんなにいいたくなくても、言わないわけにはいかない。

「実はな。お前がさっき寝てる間に、警察から電話があった。あのクソ野郎が逮捕されて、明日審判にかけられることになったと。訴追内容は殺人未遂、不法侵入、そして強姦だ。」

彼は呼吸を整えた。

《さあ本番だ》

「それで警察は、これがマスコミで報道されるだろうと言ってきたんだ。」

スパイクは、ザンダーの全身から怒りと苦痛と恥辱とが津波のように盛り上がり、どっと溢れ出すのを感じた。

「なんだって・」

ザンダーの目が見開かれた。

「そんな…そしたらみんなにばれるじゃないか!?みんなに…そんな…ちくしょうッ!」

≪ちくしょう…畜生!俺はどうなる?俺は?あああいやだ!いやだ!ほっといてくれ、見ないでくれ! いやだ、皆にばれるなんて…俺は…ああ!ああいやだ!いやだ、汚い、汚い、汚い!みんな俺を避けてくだろう、汚い、俺は・・・ちくしょう!≫

身のうちを妬き焦がすような屈辱に、彼はがたがたと震え始めた。

「ばれちまう、逃げなきゃ、全部ばれちまう・・・!」

彼は痛みも無視して喘ぎ、身悶えた。世界は一気に闇へと転じていき、視界がずんずん暗く翳っていった。無意識に彼の手首がベッドのふちに押しあてられ、擦るように動き始めた。その摩擦を、その感覚を、その苦痛を求めて───輸血針が腕に突き刺さっていく、苦痛を求めて。

スパイクは息を飲み、それから手を伸ばし、狂的な動きを繰り返すザンダーの手をそっと捕まえた。ああ、まただ。また───。

言いようのないほどの悲嘆が彼の心を貫いた。もっと深く、もっと中までと、ザンダーが針を突き刺そうともがくのを、ザンダーがついに闇の中へ一気に滑落していくのを、これまで二人で必死で積み上げてきた何もかもを、ザンダーが全て失おうとしているのを、ただ見守っているしかできないことは、まるきり彼には拷問だった。

「ザンダー、こっちを見てくれ」

ザンダーはぎゅっと目を閉じたまま、頭を振った。

《見れない、そんなの無理だ、汚い…汚い…僕は汚い!》

「ザンダー。頼む」

スパイクの声は割れていた。

「頼む。俺を見てくれ。愛してる。お前は何もしてない。お前がこう仕向けたわけじゃない。お前が悪いんじゃないんだ。俺はお前を愛してる。ずっとだ。だから頼む。頼む。」

衝動を止めらないザンダーの右手首を捕まえたまま、スパイクはもう片手を伸ばし、ザンダーの苦痛に歪んだ頬を、壊れ物を扱うようにそうっとそうっと撫でた。

「頼む。」

その言葉に含まれた苦痛の響きこそが、ザンダーを彼の陰惨な悪夢の世界から外へと引きずり出したものだったかもしれない。

「君は…君は僕を愛してるなんていえるの?あんなことがあっても?」

喉が詰まった。彼は震える息と共に囁いた。

「あんなことがあっても…?」

スパイクはただただ頷いた。喋れなかった。でも喋る必要はなかった。彼の心はみなその面に表れていたからだ。

ザンダーは出来るだけ伸び上がると、狂おしく自分の唇でスパイクの唇を捕まえた。無理な姿勢に引き起こされる激痛を無視して、彼は全身でスパイクの唇を求めた。スパイクも噛み付くようにキスを返した。この数ヶ月、二人が死に物狂いで積み上げてきたものは、ゆうべ、粉微塵に破壊されてしまっていた。けれど二人は、その廃墟の中でもこれだけはただ一つ残ったものだとでもいうかのように、互いの唇を、互いの存在を、求め合った。

苦痛、憤怒、恐怖、憎悪、愛、そして希望。すべてはここにあった。頬を流れる塩辛い血と涙と共に、全ては今、ここにあった。

やがてザンダーは酸素を求めるように喘ぎながら身を離し、枕に頭を落とした。スパイクは少し身を引き、少年が息を整えるのをじっと見守る。ザンダーはやっと呼吸が正常に戻った時、ふと何かに思い当たったように、小さく笑い声をもらした。

「心拍数があんなになってるのに、誰もチェックしに来ないなんて、驚きだね」

ザンダーのユーモアはこんな時でも生き残っていた。いつものことだが、スパイクはそれにほとんど畏怖すら覚えながら、優しくまぜかえした。

「きっと来ただろうな───もしカメラがなかったらさ」

眉をくいと上げてザンダーにほら、と示す。ベッドの上には小型のカメラが取り付けられてあった。ザンダーの唇にゆっくりと笑みが浮かんできた。

《んん、カメラか》

「なるほどね。こいつは面白いや。───スパイク、君、これまでポルノ映画に出たいと思ったことは?」

彼はにっこりと笑った。スパイクは本当に僕を愛してくれている。自分を大切にしてくれていて、自分には何も落ち度はないし、そしてこんな自分でも汚れていないとまで思ってくれているのだ。その言葉になんの偽りもないのだと判って彼は安心していた。

全く、この強靭さときたら───スパイクは一瞬口をぽかんと開けたが、それから盛大なにやにや笑いをうかべた。

「おや、もう出演したことがあるとは思わないわけか?」

ザンダーは笑い返した。それからその微笑はゆっくりと消えた。廊下から、こちらに向かってくる複数の足音を聞いたからだ。

「云わなきゃダメなんだね。」

「ああ。そうなんだ。」

スパイクはベッドの枕もとに腰を下ろした。

「俺が代わってやろうか?」

どんなことでも、彼はザンダーの頼みならやれた。文字通り、どんなことでも。

「いいや。自分でやるよ」

深呼吸し、ザンダーはつよく顎を引いた。

「どこから始めるべきかわかってるのは、僕だけだ」

みなが団子になって入ってくるのをザンダーは静かに待った。バフィーとウィロウとアンヤは優しく彼の頬にキスを落し、タラは相変わらず内気な微笑と共に小さく手を振ってよこし、ジャイルズはベッドの足元のところに立って自分をじっと見つめていた。

スパイクは座っていることが出来ずに、枕もとに立った。ジャイルズはスパイクの中にとぐろを巻いているらしい緊張と不安の気配を読み取った。

スパイクはそっけなく顎をしゃくった。

「聞けよ。聞かなきゃよかったと後悔することだろうがな」

その言葉は静かだったが、ざわめく部屋の空気を引き裂くように、冷たく、鋭く響いた。

ジャイルズは頷いた。

「ザンダー。では、何が起こったのか我々に話してくれるかい?」

ザンダーはちらりとベッドの脇に立っているスパイクを見上げた。彫像のように動かない。だが彼はスパイクの顎の筋肉が緊張に固く強張っているのを見て取っていた。

どうせやるなら一度に全部やってしまおう。ザンダーは最後にもう一度息を吸うと、話し始めた。

「オーケイ。でも、これは入り組んだ話なんだ。どうか遮らずに聞いて欲しい。一度しか云わないから」

もう一度目を上げてスパイクを見、彼はきゅっと恋人の手を握った。

「───バフィー。君は前に、僕と彼がどうして付き合うようになったのかと聞いたよね。あの時の答えは、本当は一部でしかなかったんだ。

アンヤと別れたばかりのころだった。スパイクがある晩僕に逢いに来た。そしてバスルームに血だらけになってる僕を見つけた。僕の父親が酷く僕を殴って…」

彼はみなが衝撃に息を飲む気配を感じた。だから彼は決めた───全部話すのはやめよう。いまはまだ、自分には受け止めきれない。あえて今、全て暴露することははないじゃないか…?

「それで、スパイクがウィリーを通して医者を呼んで、治療してくれた。それから僕の安全のためにって、引っ越してきてくれたんだ。それで…その数週間後に病院に行ったときに、チンピラに絡まれて怪我をしたんだといったのも、嘘なんだ。チンピラじゃない。僕の父親だったんだ。それでスパイクは僕に家を出ろといって…それで翌日には引っ越した。それから、だいたい一週間前に、たまたまWal-Martで父に遭って…僕らがキスしてるのを見て、怒り狂ったんだ。で、ゆうべ…《まだ昨日だ!まるで大昔のことのように感じるのに》僕は勉強してて。スパイクは買い物に出かけてた。エレベーターの音がして、僕はてっきりスパイクだと思って、ドアを開けてしまったんだ。だけどそこにいたのは父だった。殴られて、壁に叩きつけられて、僕をホモ野郎って罵って、…叫んでた、僕は出来損ないだ、家の恥だ、もっと前に殺しておけばよかったって。…それから僕を刺したんだ」

一気に喋りきって息が切れ、ザンダーは口をつぐんだ。目を上げ、みんなの顔に一様に浮かんだショックに満ちた表情を見る。

なんとか最初に言葉を見つけたのはバフィーだった。

「お父さんが…あなたのお父さんがこんなことをしたって云うの?」

声のトーンが急に上がった。

「最低な親…!いいえ、親なんかじゃないわ、けだものよ…!」

少女はぶるぶると身を震わせた。父親。父親ですって?ウィロウの大きな目からは涙が零れていた。

「あなたをぶつなんて…これまでずっとそんなことされてきたなんて…なんで話してくれなかったの?云ってくれれば、わたしぜったい、なんとかしたのに…!」

喉を詰まらせながら彼女は詰っていた。いや、彼女が詰っていたのは自分自身だった。なんで自分は気づかなかったのだろう?

スパイクはただ黙ってその情景を見ていた。次に来る質問がわかっていたからだ。ウォッチャーの目の中に、彼は、焼け爛れるような悲惨な答えを導く質問が用意されているのを、見てとっていた。

「ザンダー…さぞ辛かったろう。」

ジャイルズの静かな声が、病室に漂うように響いた。

「だが、まだ少々判らないことがあるんだが───なぜ、スパイクはその最初の夜に君を病院に連れて行かなかったのかね?つまり、なぜウィリーには電話したのに、我々には一言も云わなかったんだね?」

ジャイルズの心は重かった。なぜなら彼はこの答えを知っていたからだ。だが彼は、自分に思い出せる限りの全ての神々に祈っていた。

どうか、自分の考えが間違っていますようにと。

ザンダーは目を閉じた。この言葉を、友人たちの顔を見ながら吐き出すことは、彼にはできなかった。

「なぜなら、殴っただけじゃなかったから――――彼は僕を、レイプしたんだ」

恐ろしい沈黙が降りた。

そして次の瞬間、どっと、うめきと、驚愕の喘ぎと、言葉にならないバフィーとウィロウとタラとアンヤの叫びが錯綜した。何かがぽきんとまっぷたつに折れた時に立てるような、奇妙な破裂音といえばいいだろうか。スパイクの手は力を注ぎ込むように固くザンダーの手を握り締めた。

「レイプですって!?レイプ───まあ、なんてこと、なんてこと、ザンダー…!」

ウィロウはザンダーのもう片方の手を掴んだ。そうっと開いたザンダーの目に、恐ろしく顔をゆがめたウィロウが映る。

「ザンダー、なぜ私に───私たちに云ってくれなかったの?!そんなひどい…なんでそんなことが…」

そしてザンダーは、彼女の顔に一つの恐ろしい理解が浮かぶのを見た。衝撃のあまり膝が砕け、倒れそうになったウィロウをタラが急いで支えた。

「…初めてじゃなかったのね…ザンダー、なぜ話してくれなかったの…?」

ウィロウはがたがたと震え始めていた。親友だったはずだった。ずっと昔からの幼馴染で、一番の親友で、彼は自分の人生の一部分だった。なのに自分は全然気がつかなかったのだ。一体どうして自分はそんなにめくらでいられたのだろう?

「いつからなの」

バフィーの声だった。冷たい、切るような、狂気を秘めた声。ザンダーは思わず彼女を見上げた。自分を見下ろすその目はあの夜───ずいぶん昔のことに思えるけれど───スパイクがあの地下室に飛び込んできたとき、彼の目にあったものと似ていた。燃えるような憎悪、底知れぬ憤怒、純粋な殺意。

「11の時から」

ウィロウの啜り泣く声がいっそう大きくなった。タラが一生懸命なぐさめる。11。頭がわんわんいうような気がした。11。そんなにも長い年月。

スパイクは冷ややかに、この愁嘆場を眺めていた。彼の心の一部分では、この情景を楽しんでさえいた。当然の報いだ。お前らが勝手にこうだと思い込んでいた「美しい」世界が、がらがらと足元から崩壊していく恐怖をたっぷり味わうがいい。自分達がいかにめくらだったか思い知って、死ぬほど恥じ入るがいい。お前らはその罪を贖うべきだ。お前らは一度も真実を見はしなかった。見たくなかったからだ。

だがスパイクの中の一部は、それを否定していた。そうじゃない、連中に見えなかったのは、ザンダーがそれを見せたくないと思っていたからだ、と。

だがスパイクはぴしゃりとそんな考えを捨ててしまった。それがどうした。連中はザンダーを傷つけた。今度は連中がその返礼をされるべき時だ。それこそが正義ってもんじゃねえのか。

ジャイルズがスパイクの真正面にのしかかるように立った。

「君は知っていた」

篭められた非難の響きは空気を突き刺すようだった。

「ああ。そのど真ん中を歩いてきたぜ。殺そうとしたが出来なかった。チップのせいでな。壁にたたきつけてやるのが精一杯さ」

スパイクの声はスレイヤーのに負けず劣らず冷ややかだった。

「なぜ何も云わなかった?」

せき込むようにジャイルズは怒鳴った。誰か、この責任を取らせるべき相手はいないかとでもいうように。今はじめて、これまで漠然と感じていた様々な疑いの切れ端が、一つの醜悪な結論に結びついて彼の前に立ち上がってきていた。

ザンダーが他人に触れられると必ずおびえたように跳びあがること。恐怖や不安を隠すために連発していた軽口や冗談。家族についての話題をかたくなに避けてきた理由。自分を守ろうとする意識がすっぽりと欠落しているとしか思えない、奇妙に無防備で自己破壊的な振る舞い。

なぜ気付かなかったのか。これだけの証拠があったのなら、自分は気がついて良いはずだった。なのに。私はもしかして、わざと現実から目を背けてきたということなのか?

「そう頼まれた。だからだ。これからも云うつもりはねえ。どうせ捜査でみなバレるだろうがな」

スパイクは本当のことを語っている。そう悟ってジャイルズは疲れたようにひき下がった。バフィーが代わりにスパイクの前に出た。

二人はまっすぐに互いの目を覗き込み、そして互いの中に同じ意思を見抜いた。

バフィーはザンダーに向き直り、彼の手を取った。

「ザンダー。ごめんなさい。本当にごめんなさい」

彼女は一瞬涙があふれそうになるのをぐっとこらえて言葉を切った。自分はあとで泣けばいい。今はそんなときじゃない。

「ただ一つだけ、知っておいて。私とスパイクで、必ずあいつに、死なせてくれと言わせてみせるわ。地べたに頭を擦りつけて、殺してくれと叫ばせてやるわ。でも簡単には殺さないわ。スパイクなら生殺しの目にあわせる方法を知ってるはずよ。もし知らなくてもウィロウが呪文をなんとか探し出すはず。あいつにはつぐなってもらうわ───心を篭めて、心底から、償ってもらうわ。あいつがやった全てのことに対する罪をね。貴方に誓うわ。私が心安らぐ日は来ないでしょう、あいつを血祭りにあげてやるまでは。あなたのために、私があいつを殺してやるわ。」

その言葉はまるで戦場に鳴り響く鐘のように部屋中に響いた。

「だめだよ」

ザンダーは云った。

「君はスレイヤーだ、人間を殺すことはできない、なんて寝言は言わないでちょうだい。あの…あの物体(thing)は、」

彼女は吐き捨てるように云った。

「あの物体(thing)は、人間なんかじゃないわ!あいつを見つけて、今云ったこと全部やって、でも殺さずにずっとずっと苦しめつづけてやるわ!」

「だめだよ」

ザンダーはふたたび云った。

「殺しちゃだめだ」

暗い微笑が彼の面をふいと掠めた。

「僕にはもっと、いい考えがある」

 

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