Waiting Here -Part Ten <Good morning, sleepy head>-


ザンダーはぼんやりと目を開いた。からだ中があたたかくて、ふわふわしている。まるで自分が外にあふれでていってしまいそうなたよりなさと、そして幸せな気持ち。

記憶にある限りの以前から、彼は眠りながらも怯え、目覚める時もいつだって何かに警戒しながら瞼を開いた。身に染み付いたこの「癖」は、アパートに越したのちはだんだん消えていっていたが、しかし彼の精神に食い込み苛む悪夢は手足を伸ばしてゆったり眠る、などという幸福を彼に許してはくれなかった。

けれど今、今まで生きてきた人生の中で初めて、彼は本当にすっきりとした目覚めというものを経験していた。なぜかは判っている。胸にのったスパイクの重さのせいだ。煙草とヘアジェルの香りがこんなに自分を安心させてくれるなんて。

けれど同時に驚いたのは、彼とスパイクがいつもと逆の体勢になって眠っているということだった。

ザンダーはひっそりと笑った。手の下にある肌の感触。スパイクはぐっすりと眠っている───ヴァンパイアがまだ「眠る」ものだと仮定した上でだが。心臓の音や暖かい寝息は絶対に聞こえはしないので、ザンダーにはスパイクが眠っているのか、それとも意識を失っているだけなのかはわからなかった。だから彼はただじっと、心ゆくまで、鋭い頬骨に影を落としたハンサムな吸血鬼の顔を眺め下ろしていた。

寝ている間にいつのまにか二人は位置を入れ替わって、ザンダーはちゃんと上向けに、そのかわりスパイクが彼の胸の上に頭をのせて身を寄り添わせていて、一方でザンダーはちょうどスレンダーな腰を抱き寄せるように腕を回していた。

そういえばシャワーをいっしょに浴びるまでは、スパイクがあんなに華奢だなんて思わなかった、とザンダーは思う。二人でバスルームに入ってシャワーを浴びて、スパイクのからだ中に触っていって───でもあのあとだったから、もちろん全然そういうことは…ま、全然というのは嘘か。そりゃちょっとは───いささかは───ある程度は───オーケイ。自分に嘘をついても始まらない。そりゃ確かに、スパイクを浴室の壁に押し付けて、喉の奥まで吸い取るようなキスはしたかもしれない。…何度か。

でもしょうがないじゃないか、僕はただの人間なんだから。ザンダーは言い訳する。それに───と、ここで彼はいやらしげな笑みを浮かべた───スパイクだってさ。あんなに疲れてなかったら、この吸血鬼はシャワーの中だろうと喜んでセックスしたに決まってるのだ。

けれどスパイクは死にかけたわけだし、自分は自分の血を飲ませるし、さらにそのあと続いたあれやこれやとで、さしもの二人にもそれ以上の疲労を誘発するような行為に挑戦する体力が少しばかり残っていなかった、というわけだった。

───けど今は違うもんね。

邪悪そのものといった笑みがかれの顔に浮かぶ。

スパイクは自分が眠りに落ちる前に、なにやら興味深いことをいくつか囁いてくれたのだ。甘い愛の囁きと、自分をずっと守るという誓いの言葉との合間に、いくつかの約束を。それを思い出し、ザンダーはしだいにそわそわしてきた。

『俺の前では何も恥かしがらなくていい。知ってることは全部教えてやる。いつかそのうち、どうやれば俺を"鳴かせる"ことができるかも、お前に教えてやるよ…』

───そう言って僕の耳を舐めやがったのだ、こいつは。

ザンダーは片手の指を金髪に絡ませながら、なんとなくもう片手でスパイクの脇腹を上から下へ、となで始めた。すると猫が喉をごろごろ鳴らしているみたいな低いうなり声がしはじめて、ザンダーはまたなんだかとても嬉しくなった。

お湯がなくなって水になってしまい、ザンダーが唇まで青くしてシャワーから転がり出るまで、スパイクは本当にザンダーをめちゃめちゃに気持ちよくさせてくれたのだった。人に大切にされるとはこういうことなのだ、と教えるかのように。

スパイクは文字通り髪の先から爪先まで洗ってくれた。その間ずっと、低い、満足しきったこの"ごろごろ"が、スパイクの胸元から聞こえていたのだった。確かめるまでもなかった。スパイクは猫と同じように喉をならすことができるのだ。それも、すっごく満足して喜んでいるときにだけ。

そしてこの音は落ち着くものであると同時に、少しばかりこっちの体を火照らせるものだった。落ち着く、というのは、その低い、何かが歌うような音がどこかしら眠気を誘うものだからで、その逆に煽情的、というのは、彼にスパイクが幸せなのだと───自分はスパイクを幸せにしたのだということを、教えてくれるからだった。

スパイクはザンダーをベッドに連れて行って腰をおろさせると、唇に軽いキスをして、自分はそのまま立ち上がった。

「すぐ戻る。ザン、ちゃんと服を着とけよ。俺はちょっと取ってくるものがある」

何を?と聞こうとして口を開いたときには、スパイクはとっくに部屋から出て行った後だった。肩をすくめ、自分の恋人は何を考えているんだろうと思い、それからだるい体を持て余しつつ何を着ようかと部屋を見回し、床に落ちている服を見つける。さっきスパイクが放り投げたやつだ。

ペタペタ歩いていって拾いあげると、それはスパイクのシャツだった。ちょっとにおいをかいでみる。かすかな煙草と、それから彼の匂い。

驚いたことに、それはなんだか爽やかな、洗い立ての洗濯物のような香りがした。想像していたのと正反対だ。へえ…と思い、それを頭から被る。それから箪笥の引出しを開けて着古したスウェット・パンツを取り出す。とりあえず身じまいして、濡れた髪を大雑把に撫で付けた彼はふっと耳をそばだてた。スパイクがなにかキッチンでガチャガチャやっている。

なんだろう?と彼はその方へ向かった。

*

スパイクは手早く材料を取り出すと、フライパンをコンロにかけた。

これは彼の隠された特技というやつで、実は彼は料理がかなりうまいのだ。ヴァンパイアは食べる必要はない("食べ物"は、という意味でだが)のだが、スパイクは時に応じて美味しい料理を食べるのは好んでいた。ドルーと過ごしていた頃はあまり作る機会がなかったし、地下墳墓にはそもそもキッチンなどなかったので料理は全然しなかったが、ここに引っ越してきてからは、ザンダーのために何度か作ってやっていた。野菜いためとかパスタとかの簡単なものだが、それでもジャンク・フードよりは断然ましである。スパイクにはザンダーの空腹も、自分に血を与えたことが響いてきて貧血気味なのも、判っていたのだった。

卵をボールに割ってがしがしかき混ぜ、少々のミルクと塩と胡椒を足し、熱したフライパンにそれをざっと流し込む。ザンダーの好物はオムレツなのだ。それにプロテインは健康にもいいし、あっさりして胃にもたれない。なによりふわんとした完璧なオムレツを作るのは自分の十八番だ。まあ要するに、ちょっとザンダーに自慢したいのである。

スパイクはひっそりと笑みを零した。

《なるほど、俺は態度で示したいわけか。お前をお姫様みたいに扱って、すげえ大事にしてやるぜ、ってな》

どうしようもなく恋に溺れた男特有の思考に彼は我ながら呆れ、やれやれ、と頭を振った。

 

そもそもが、彼は手のつけられないロマンティストだった。ウィリアムと呼ばれていたころの彼は本ばかり読んでいるような内気な青年で、セシリアという女に文字通り身も心も捧げていた。彼女を喜ばすために生きていたと云ってもいい。この性質はヴァンパイアに変成したあとも基本的には変らなかった。───少々捻じ曲がりはしたが。

変成後は、こんどは義父のアンジェラスに対してこの献身性は発揮され、彼が喜んでくれることなら何でもやった。自分そっくりに凶悪で極悪な息子を持つのがアンジェラスの喜びとするところだったから、彼はさっそく凶悪で極悪な殺人鬼に様変わりした。そんな風に行動することがアンジェラスへの贈り物を意味したのだ。

次にドルシーラを相手にしたときはたちまち恋の奴隷に変身した。彼女の精神が狂っており、200歳を超えているにもかかわらずまったく子供であって、そんな相手と付き合うのは本当に難しいとわかっていても、彼は気にしなかった。世話が必要な誰かにのめりこむことが彼には必要で、そしてドルーはまさにその"誰か"だったのだ。いらい彼女はずっと彼の仕える暗黒の女王であり、彼らの共にゆくところには夥しい血の河が流れた。それもすべて彼女へのプレゼントだった。

もちろん彼自身もヴァイオレンスは大好きだった。血と、恐怖と、力のぶつかり合うパワー・ゲームは、彼の本性の深いところに訴えてくる魅力があった。だが彼はアンジェラスやドルーやダーラのような冷血漢ではなかった。一風変ってはいたが、彼には彼なりの美意識があったのである。だがドルーに捨てられたことは身にこたえた。以来彼は、愛すべき相手を求めてさまよっていた。

そして今、自分にはザンダーがいる。

スパイクはずっと自問自答してきた。自分がザンダーを愛しいと思う、その理由はただ単に、自分は誰かに必要とされていると思いたかったが故ではないのか、例によって自分は、誰か注意を向けるべき相手が欲しかっただけではないのか、と。

そんなことをぐるぐると考えながら、彼はアパート中を何時間も苛々と歩き回ったのだった。そしてついに、彼は認めた。違う。この気持ちは、そうじゃない。

確かに、ザンダーが必要としてくれたから、という面はあった。だがそれがこの黒い瞳をした美人に惚れた理由ではない。炎に身を焦がす蛾のように、彼を強烈に惹きつけたのは、少年の強さと、その熱さと───そして優しさと、純粋さだった。

何があっても、どんなものが彼を叩きのめしても、ザンダーはきっとザンダー自身に戻ってきた。何度でも。そしてにこりと笑ってみせたのだ。

それこそがスパイクを畏怖せしめたものだった。この人間はいったいどこまで強いのか?

ザンダーは、およそありとあらゆる悪が目の前に展示されているような人生にあって、しかもそれをしっかり目を見開いて見つめながら、それでもなお希望を失わずにいたのだった。

───少年へのこの愛は、これまで彼が知っているどんな愛とも似てはいなかった。

 

スパイクはふっと息をついて物思いから覚めると、オムレツをなれた手つきでぽんとひっくり返した。ちょっと焦げ目をつけてから皿に移す。それからコップにミルクを注ぎ、乗せるトレイを探そうとしたところでザンダーがキッチンに入ってくる足音を聞いた。

食堂に向かうやいなやザンダーはぷんと匂ってきた美味しそうな香りに鼻をくんくんさせた。いきなりどっと唾がでてきて、自分がひどく空腹だったんだと気がつく。

「すごい、いい匂いがするね」

彼はスツールに腰を落ち着けながら元気に言った。トップレスのスパイクが料理してる姿なんて初めてだ、とその情景を楽しむ。スパイクは彼のスウェット・パンツを穿いているだけだ。体の中心で、ちり、と煽られるような欲情の熾り火がかき立てられるのを感じる。特にゆるい腰紐がスパイクの腰からずり落ちて、半分スレンダーなヒップにひっかかっているだけのような状態だからなおいけない。ザンダーは頭の中でスパイクのお尻を触っている自分の姿を想像して、思わず唇を舐めた。

《落ち着け自分、落ち着け。とにかくまず食べる、それに集中するんだ。でないとあとでこのブロンド美人と遊べなくなるだろうが?》

「腹が減ったろう。今夜は忙しい一日だったからな」

スパイクがフォークにナプキンを添えて皿を前に滑らせた。それからカウンターの向かい側から、テーブルに寄りかかってザンダーが彼の料理に猛然と攻撃を開始する姿を見つめる。

「おんく、こんあおわあすいとんとむわなくた」

飲むのと食べるのと喋るのを同時に行おうとしたザンダーは、ゴクンと全部を飲み下してから、もう一度言いなおした。

「ほんと、こんなお腹すいてたとは思わなかったよ。凄い美味しいよ、スパイク」

スパイクはただ微笑み返した。

ザンダーのよく動く唇と濡れた髪。それだけで思考は不埒な方向へスリップしていく。

シャワーは全く素晴らしかった、ザンダーの体を洗ってやれたから。逞しい体じゅうに愛撫するように自分の手を走らせて、髪も自分の手で洗ってやって…。

自分がまた大きくなりかけるのを感じ、彼はぶるぶる頭を振った。

《Bloody hell、朝まで抱いても足りねえみたいだ》

ただ、そうしたい気持ちの一方で、彼は今夜の出来事を、そのままじっくり記憶にとどめておきたいという気もしていた。

自分はザンダーを抱いたのだ。

実はまだ彼は半信半疑だった。あまりにも長いこと夢に見てきたので、現実に起こったことだとは信じられない。彼はまだ、目が覚めて手を伸ばしても(そして実はそんなことは何度もあったのであるが)そこには誰もいないんじゃないか、これはただの夢なんじゃないか、という恐れが去らなかったのである。

しかしもちろん彼の夢の中のザンダーは、指をしゃぶってまで皿にへばりついたオムレツの粕をこそいで食べようなどという行儀の悪い真似はしない。

ザンダーは出された食事を綺麗に平らげると、ふうっとくちくなったお腹をさすった。美味しかったし、すごく満ち足りた気持ちで、そしてとても、幸せだった。欠伸をして、彼はうーんと伸びをする。

「疲れたろ、ザン?」

ザンダーは目を閉じて頷いた。随分疲れていると今気がついた。シャワーと食事のおかげで(あの凄いセックスについては触れることはしない)彼はすっかり体から力が抜けていた。疲労がどっと押し寄せてくる。本当に長い夜だった。目を上げ、ああもう朝の3:30なんだと知る。これでは疲れていても不思議はない。

スパイクが半分眠りかけているザンダーの手をひいて、ほらほらと寝室につれていった。認めたくはなかったが、スパイクも実は心身ともに消耗していた。

彼は恐ろしかった。あのヴァンパイアたちに襲われたとき、これで終わりなのだと、これでもう愛する者には逢えないのだと、これでザンダーを守ることができなくなるのだと、そう悟った瞬間のあの恐怖。それからザンダーの血のお陰で意識が戻った瞬間に、やり過ぎた!と身のうちをぞっと走った絶望。そして、驚き───ザンダーが自分にキスをしてきた。あのすさまじいまでの幸福。そして、そのあとザンダーを自分のものにした、あの時の気持ち。そして今ここにある、ザンダーは自分を愛しているのだ、という確信。

それはあまりにも素晴らしすぎて、美しすぎて───だから彼は、とても、とても、疲れてしまったのだった。

二人はベッドに倒れこむと、掛け布団の下に這いこんだ。自動的にザンダーは右側を下にして寝返りを打ち、スパイクは背中から彼を守るように腕を回す。いつものように。ただこれまでと違うのは、ザンダーの指がスパイクの指と絡み、スパイクが今までずっと言いたかった言葉を耳に囁いたことだけだった。

スパイクはザンダーが眠りの世界に漕ぎ出すのを感じてから、自分もすぐに穏やかな闇の中へ落ちていった。

体に触れながら、眠る恋人を眺めているうちに、ザンダーは次第に自分の欲望が高まってくるのを感じた。───恋人。スパイクが僕の恋人。

信じられなかった。中でも信じられなかったのは、これでいいんだ、という揺るぎない確信が自分にあることだ。ためらいとか疑いとか、そういうのが全然ない。

スパイクに関して語られることは、自分には意味がなかった。

いわく、スパイクは冷酷な殺人鬼である。もちろんそうだろう。過去には自分を殺そうとしたこともあったのだから。もしかしたら将来においても、あのチップが作動しなくなったり、それともスパイクがあれを取り除くのに成功したら、自分を殺そうとする可能性だってなくはない。

そして、不死で、男で、ヴァンパイア。

けれど自分の生涯の恋人だ。

ヘルマウスのせいかもしれなかった。それとも何か他に理由があるのかも。けれどそれが何であろうと、ザンダーは構いやしなかった。これでいいのだ。彼を愛しているという揺るぎない気持ちがここにある。それだけが重要だった。

彼はかがみこむとスパイクにキスをした。

こめかみに口付けられる感覚に、スパイクの目がぱちっと開いた。自分はザンダーの胸の上に頭を乗せている。ザンダーの手が自分をいとおしそうに撫でている。夢ではない。これは全部現実なのだ。

彼は一瞬だけ目を閉じて、幸福が小波のように彼の全身を洗っていくのを味わった───幸福と、それから欲情の波だ。ザンダーの手がその時彼の背中の一番敏感なところをくすぐって、彼は完全に目を覚ました。

頭をもたげ、ザンダーの顔を見上げる。

「モーニン、ラヴ」

「こちらこそグッドモーニング、おねむさん」

面白がっているような響きである。

「今日は一日中お休みかと思っちゃったよ」

スパイクは嫌々ながらザンダーの抱擁から逃れた。そうしたくは勿論なかったのだが、そうしないとザンダーの唇に届かないからである。彼はザンダーの体の上に覆い被さると、一度唇を軽く重ねたが、しかしそれはすぐに深くなっていった。

ザンダーは自分の上にスパイクの体を乗り上げさせた。自分の上に乗っかった冷たい体の重さが嬉しい。手が互いが互いのものだと確かめるみたいに、体の上のあちこちをまさぐっていく。触れ合った場所はすぐに熱くなって、二人は腰をユニゾンで動かし始める。

スパイクがきゅうに身を返したので、今度はザンダーがスパイクの上に乗る形になった。ザンダーはお返しにスパイクの喉から鎖骨にかけてキスをしていく。スパイクの喉もとの窪みにきたときだけキスを止めて、舌先で円を描くようになぞって、それからもっと下へ…。乳首から乳首へとキスで道を作っていって、両方とも口に含んで、固くしこるまで刺激してやる。スパイクは引き起こされる官能の波にただ低いうめきをあげるばかりで、なんとかザンダーを捕まえようとしているが、背中をすべるばかりの手なんか無視。ついでにスパイクの懇願するような声も無視。それから目的地へ向かって、まっすぐ、まっすぐ…。

スパイクはついにザンダーを引き剥がした。ザンダーがスパイクの穿いているスウェットの腰紐に指をかけたからである。

「おい、ザン、何やってんだよ?」

彼は積極的なザンダーの行動におされて荒く喘いだ。

「云わなくたって判るんじゃないの?」

ザンダーは笑って云うと、またベッドの下のほうに身をずらそうとして、しかしスパイクにがっちり捕まえられてしまった。

「真面目に云ってんだよ。ザンダー、何考えてんだ」

スパイクは自分の上のザンダーを見上げた。

ザンダーはスパイクの顔中に小さなキスを降らせる。

「君を”鳴かせる”方法を教えてくれるって云ったじゃない。今はそれを開始するのに最適な時間だと思うけどなあ」

彼は顔をよせてスパイクの唇を自分の唇で捕まえると、その冷たい唇を熱っぽくまさぐった。それから食いついてくるようなキスを振り切って下へ───二人のものは次第に固さを増している。今度はザンダーがスパイクの胸にキスを落とす番だった。でも次はスパイクのすでに固く立ち上がっているものが目的だ。彼はスウェットの周りに指をかけると、それをひき下ろそうとした。

まさにその瞬間。

電話が鳴り響いた。

ザンダーは一瞬動きを止め───それから肩をひょいとすくめた。無視しよう。僕は忙しい。こういうときのためにこそ、留守電というものは開発されたんだろう?

スパイクを裸に剥きにかかったとき、ベルは留守電に切り替わった。

『ザンダー、あたしよ。ゆうべのことについて話したいの。もしいるんなら電話をとってちょうだい。───いないみたいね。…ううん…なんていうか…あたしたち、あなたがスパイクと二人きりになってそのあとどうなってるのか心配してるの。それに、もしかしたら電話をかけなおしてくれないんじゃないかとか、いろいろ…とにかく、あとでみんなとそこに向かうわ。それだけ云いたかったの。このメッセージを聞いてもらえるといいんだけど。じゃあね。』

二人は同時に唸り声を上げ、スパイクはむっくり起き上がり、ザンダーは下ろしかけていたスパイクのパンツを元に戻した。

「ザンダー。お前、俺に何か言うべきことがあるんじゃねえか?」

スパイクは尋ねた。バフィーの声は明らかに穏やかならざる響きを持っていたし、そして穏やかならざるスレイヤーというのは彼には極めて縁起の悪い存在である。

「…あー…そのう…実は、バフィーがさ。昨日、君をそのまま置き去りにしときゃいいとか、太陽が昇ってもたいした損失じゃないとか、そんなことを言ったもんで…つい、彼女を墓石に向かって突き飛ばしちゃったような…あとは…君を連れ帰ろうとしたら引き止められたんで、ちょっとこう、失礼なことを言っちゃったかなあ、なんて気も…」

ザンダーはおちつかなげに掛けぶとんの端っこをちまちまといじった。そんなことはすっかり忘れていた。しかし全くあの時は、文字通りそれどころではなかったのである。

スパイクはもう一度唸り声を上げると、ひっくり返って枕を自分の顔に被せてしまった。

「結構なこった、スレイヤーを張り飛ばすとはよ。自分のことのように嬉しいぜ。───しかしまずいことになったな」

スレイヤーやウォッチャーや魔女や悪魔らに(しかしこいつらがみんなザンダーの友達ってのはどういうこっちゃ?)どう云ったものかについては、彼はこのときまでずっと考えないようにしていたのである。

喜ばれるはずがない。今はまだ、二人の間に起こったことを公表するにはあまりにも事情が入り組んでいるように思えた。だいたい自分だって昨夜まではここまで考えていなかったのだ。

「ごめん。でも僕だってこんなこととは思ってなかったんだよ。」

ザンダーは誤解をとこうと熱っぽく言った。スパイクは手を伸ばし、ザンダーの腕に宥めるように手を置いた。

「別に怒ってるわけじゃねえ。…ただ、まだこの事態についていけてないだけだ」

ザンダーも重く息を吸った。

「僕もだよ。───これからどうしよう?」

スパイクと付き合うことになったと公表したい気持ちと、そう言ったときのみんなの顔を思って、まだ説明するのは早いかという気持ちの間で彼は揺れ動いていた。それにこれは、自分のプライベートだ。何の言い訳とか説明とかもなしでしばらくはこの状況を楽しみたかった。それに自分の親友が自分の恋人を殺そうとする、なんて場面もなしでないとこまる。反対されるだけならまだしも、そんなことになったら最悪だ。

ヘコんでいたスパイクは、枕をどかすとむくりと起き上がった。必要のない溜息をはきだす。いずれ公表することになるのは避けられないが、初めだけ、もうしばらくの間は、二人だけでいたい。誰にも邪魔されず、穏やかに、絆を確かめ合っている時間が欲しかった。

「どうするかな…。奴らに公表したいか?」

スパイクは言いながら目を伏せた。このことも彼が確信できないでいることの一つだった。ザンダーは公にしたくはないのではないか。自分の存在や自分との関係がオープンになれば、ザンダーの幸福な人生は滅茶苦茶に掻き回されてしまうだろうから…。

「もちろんだよ」

ザンダーは即答した。そしてスパイクの顔に昇った安堵の表情に驚く。

「スパイク、なんだよ、もちろん言いたいに決まってるじゃんか。僕は君を誇りに思ってるし、君が僕の恋人だってことも誇りに思ってるんだから。でも、まだね…判ってくれる?」

スパイクはこの台詞に心を動かされながら頷いた。

「ああ。お前のほうこそ、言ったらスレイヤーが俺を殺そうとするということは判ってるんだろうな」

「そうだね」

静かな声だった。

「君を殺すためというよりも、僕を守ろうとしてそうするんだけどね。時々無茶しすぎるんだけど、でもそうだからこそ彼女は僕の友達でもあるんだ」

「確かにな。しかし俺の周りには"誰かを守ろうとして無茶をする"奴が多すぎる気がするぜ」

からかうような答えを返し、スパイクはザンダーの手を───自分を守ろうとして二度も切ったザンダーの手を───取った。

「掛け直してやったらどうだ?俺を椅子に縛り付けといたと云ってやれ。それから俺は日が沈んだらすぐ出て行くと。それから連中に会ってこいよ。昼飯かなにか食ってくるんだな」

こんなに早く引き離されなければならないとは。しかしこれで少なくとも多少の時間は稼げるだろう。

ザンダーは受話器に手を伸ばした。いいアイデアだ。もう何を言えばいいのか、自分の昨日の行動についてなんと説明すればいいのかも判っている。

───ああ、でも、このことについて嘘を吐くのは嫌だった。けれどまだ二人とも、この事態に直面する準備ができていないのはたしかにそうなのだ。まだ…。

彼は短縮ダイアルを押し、受話器が取られるのを待った。

「やあ、バフィー」

スパイクは電話口で喋るザンダーの声に耳を傾けた。

「うん、ちょうどシャワーを浴びてたんだよ。昨夜はごめん。───ああ、あの金髪頭は椅子に縛りつけてあるよ。僕らが喋ってるのをそこでじたばたしながら聞いてる。───問題ないよ!ぜんぜん危ないことなんかないさ。───え?ああ、日が落ちたらすぐにね。数日間はパトロールには出られないと思う、かなり消耗してるみたいだから。昼飯はどうすんの?───ウィロウとタラも一緒?───じゃあそこで待ち合わせよう。じゃ、またあとで」

彼はしばらくしてから電話を切った。

「30分後に待ち合わせしたよ」

溜息をつき、彼はバスルームに向かった。出かけたくなんかなかったが、他の選択肢はなかった。

スパイクは恋人を引き戻したくて後をついていったが、しかしそうできないことはわかっている。

「これが最善の方法だ、少なくとも今はな」

彼は自分自身にも納得させようとしながらそう囁いた。

「うん…」

哀しそうにザンダーは言った。

「判ってるんだけど」

スパイクはバスルームを出た。裸のザンダーを前にした場合の自分の理性は信用しないことにしている。

彼は居間を通り過ぎると、部屋の隅のサンドバッグの前に立ち、怒りをこめて拳を叩き込んだ。

ザンダーは手早くシャワーを浴び、髭をそり、歯を磨いて服を着ると部屋を出た。スパイクがサンドバッグをぶん殴っている音が聞こえて、自分も混ざりたいと思う。彼はスパイクの視界に入るように歩み寄った。スパイクは最後に回し蹴りをもう一発叩き込んでから彼に向きなおった。

「行ってこなきゃ」

ザンダーは重い溜息を吐いていった。

「できるだけ早く帰るから。…離れたくないよ」

ザンダーをじっと見つめ返し、それからスパイクはきゅうにきつくザンダーを抱きしめた。欲望と不安に流されるまま狂おしく唇を探る。ザンダーも気持ちは同じだった。だがいやいやながら身を離す。

「できるだけすぐに電話する。どうなったか話すから、僕の声が聞こえたら受話器を取ってくれるかい?」(注:スパイクが同居しているのは秘密なので、スパイクはこの家の電話をとらないのである)

スパイクは自分の腕の中からザンダーがいなくなった、その空虚な感覚にぞっとしたような気分になってザンダーを見つめた。ザンダーはすぐに戻ってくる。大丈夫だ。大丈夫…。

スパイクは恋人と共にいられる一分一秒を惜しんで、エレベータまでザンダーにつきあった。ザンダーは振り返ると、指でそっとスパイクの唇をたどった。

「Miss you. Love you.(すぐ帰るから。愛してる)」

ゲートを引き落とすと、エレベータは彼の気が変わる前に動き始めた。スパイクは言葉もなく、きしみを立てながら降りていく箱を見つめていた。


ザンダーはウィロウの隣に腰を下ろした。

「やあ、ウィロウ、タラ、バフィー。僕の可愛いお嬢さんがたのご機嫌はいかがかな?」

いつもの軽いノリで話しはじめてから、その体裁を保つのにかなりの努力がいることに気がついた。これは拷問になりそうだ。

「ハイ、ザン」

口々に少女達から挨拶が返ってきた。

「で、あのブリーチ頭はちゃんと修理してやったの?」

階段を降りてきたバフィーが、ハイヒールの踵を気にしつつそう尋ねてきた。

「ああ、あの皮肉っぽい性格もそのまま戻ったよ」

バフィーは頷き、出口に向かいながら壁にかかったジャケットを手に取る。

「そう。じゃ、昨日のあれは何だったのか、そろそろ本題に入ってもいいんじゃないかしら。あなた、かなりヘンだったわよ」

少女達はザンダーの車に乗り込みショッピングモールに出かけるところである。

「ああ…悪かった。ただ、彼を少しばかりよく知るようになって、友達になったというか…友情かといわれると、ちょっと微妙なんだけど。でも、あそこに置き去りはできなかったんだよ。ほら、ここ最近彼が僕を何度か助けてくれたことがあっただろ?だから僕だってお返しをしなくっちゃと思ったんだよね」

ザンダーは運転しながらそう答えた。

「そうだったの」とウィロウ。

「それで話がわかったわ。───なんとなく」

「そうね」

とタラもウィロウの手を握りながら小さく同意した。

「それに…あの人、あたしたちを守ろうとしてくれたわ。だから…だからあたしたちの方も、もっと彼のこと、考えてあげてもいいんじゃないかしらと思うの。だってウィロウを襲ったヴァンパイアを、3・4匹はひきはがしてくれたのよ。だから…つまり、彼は全部が全部、悪い人なんじゃあないと思うの」

ザンダーは感謝をこめた視線をバックミラー越しに投げた。スパイクを庇ってくれる味方がこんなところに潜んでいたとは。

「かもね」

バフィーはハンドバッグに手を突っ込みながら答えた。しかし取り出したのは杭ではなくサングラスであった。

「でも結局、スパイクはスパイクだわ。最低な奴よ。それに何度も私たちを殺そうとしたでしょ。だからあたしが彼をいつか殺しても、それは許してちょうだいね」

ザンダーのハンドルを握る手が白くなった。落ち着け、と幾度か深い呼吸を繰り返す。バフィーは自分に向かって云ってるわけじゃないんだ、だから怒るな、と言い聞かせる。彼女らは何も知らないのだから。

「ま、さっきも言ったけど、悪かったよ。もう二度としない。さあ、何を買いに行こうか?」

こうすれば連中は黙るだろう。思ったとおり、少女達はすっかり今の会話を忘れ去って新しい話題に飛びついた。それこそザンダーの望むところだった。

「靴!」

嬉しげな三人ぶんの甲高い声がいっせいに上がって、ザンダーはハンドルに頭をごつんとぶつけた。

「頼む、いっそ殺してくれ…」

 

三時間後、ザンダーはなんとか一人になる隙を盗んだ。サニーデール中の靴屋に最低でも一度は襲撃した少女達は、ザンダーを荷物もちとして連れ歩いたのである。

彼は苛立ちをおさえきれなくなっていった。しかしちょうどその苛立ちが頂点に達しそうになった時、少女達は一斉にトイレに立ってくれたのだった。

彼はすぐさま一番近くにあった電話ボックスに飛びこんだ。そこからトイレの入り口が見えるのに、大急ぎで神に感謝の祈りを捧げる。番号をプッシュして、機械が最初のコールで留守電に切り替わる音を聞いた瞬間、彼は叫んだ。

「スパイク!取って、みんなうまくいってるよ!君に会いたい、受話器とって!」

彼は受話器の外れる音を聞いた。それからスパイクの声。

「ザンダー、大丈夫か?奴らに何か云われなかったか?」

スパイクの手は震えていた。彼は1秒ごとに不安で気が狂いそうになっていたのである。

「いや、連中には君が僕を助けてくれたから僕も同じ事をしたんだ、ってそういう話にしておいた。すっかり信じこんだよ」

電話ごしにほっと安堵したようなスパイクの気配が伝わった。それからぼそりと一言。

『…逢いてぇ』

ザンダーは笑みが浮かぶのをこらえられなかった。たった3時間離れているだけなのに、まるで一日じゅう逢ってないみたいだ。

「僕も。早く帰りたいけど、約束はできないんだよ。でも今夜は絶対に連中とは付き合わないから。もっと他にするべきことがあるからね」

自分がしようと思っている情景を脳裏に浮かべ、思わず危険なところがうずいて自分を叱咤する。 《がっつくな、自分》

『いますぐそうしろ』

うなるような声が返った。

ザンダーはドアが開くのを見、ついでウィロウの声を聞いた。

「ヤバイ、行かなきゃ。───とんで帰るよ。約束する!」

彼は大急ぎで電話を切るとバフィーたちに合流した。さよならを云うタイミングを、じりじりと計りながら。

スパイクはギイギイ云う機械音を聞きながら、エレベーターの扉の前を苛々と行き来した。はじめ彼は、スレイヤーが何か冷たい、ザンダーを傷つけるようなことを抜かすんじゃないかと、そんな情景を思い描いては怒りに気が狂いそうになっていたのだった。ついでその不安を解くために掛かってきた電話も、しかし彼の狂気をほんの少ししか和らげてはくれなかった。

ザンダーの声の調子から真実を聞き分けることができる彼は、あの連中がザンダーの云うことを信じたのだということは判った。それで当初の問題はどうでもよくなったのだが、今度はザンダーの"声"が問題だったのである。

待ちわびるとはこういうことなのか、とスパイクは忌々しく思う。

留守電に吹き込まれたザンダーの、『君に会いたい(Miss you)』という声を聞くためだけに、まさか自分が何度もリピートボタンを押すような軟弱野郎に成り下がるとは思っても見なかった。

ついにドアが開いて、ザンダーがほとんど転がるような勢いでスパイクの腕のにまっしぐらに飛び込んできた。

「Spike, oh Christ, that was, you weren't there, missed you,(スパイク、ああ信じられない、ほんとに、君なしで過ごすなんて、逢いたかった)」

ザンダーは喚き散らした。とびついた勢いのまま二人は床にひっくり返る。離れていた時間の穴埋めをしようと、めちゃくちゃにキスをした。

ザンダーはまたまたしたくもない呼吸するために唇を離し、それから決然とした顔で起き上がった。

「さ、中に入ろう」

ザンダーはさっと立ち上がってスパイクに手を伸ばした。スパイクが手を取ると引き起こしてやって、それからアパートのドアから引きずり込む。

「おいおい、」

スパイクは確乎たる足取りでベッドルームに直行するザンダーに引っぱられながら呼びかけた。

「なにやら胸に期してるプランがあるようだが、こっちにも教えてくれたっていいんじゃないか?」

ザンダーはスパイクを自分の胸に引き寄せて、二つの青い瞳を覗き込んだ。

「レッスンをつけてやるって言ったじゃない。僕には学ぶべきことが沢山あるんだから、早く始めたほうがいいだろう?」

ザンダーはスパイクをベッドに押し倒すや上に跨り、シャツをひき剥ぎはじめる。

「向上心のある生徒さんは大好きだ」

愉快げにスパイクが答える。

「じゃまず、俺のジーンズのチャックを歯で開けるってところから始めてもらおうかな」

ザンダーはにやっと笑うと身をかがめた。

「で、ちなみにこの授業は何時に終わるんでしょうか?」

「朝までさ、やる気がありゃな」

「Oh,実は近頃やる気がどんどん沸いてきたところなんだよ」

仕事にとりかかるザンダーを見下ろして、スパイクは声に出さずに笑った。

 

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