Torn Souls

Written by PECOS
訳 松尾はるな

第一章 コール・バック


第1節 「それは秘密です、サー」

ホノルル発オークランド行きの飛行機のファースト・クラスがたとえどれほど快適であろうとも、全面禁煙ときてはそこは牢獄同然である。というわけで、現在の彼の最優先事項は、悪いと知りつつやめられないでいる喫煙だった。

オーランドは空港の税関と入国管理局を出るやいなや、もどかしく煙草の箱を探り出してさっそく一本を口の端っこに突っ込んだ。"良い子"の彼は空港のターミナルを出るまでは火を点けないつもりだったので、一番近い出口にまっしぐらに向かいながら、彼は「ファック!」と抑えた表現で悪態を一つついた。じりじりしながら数を数える。彼は悪名高き肺ガン誘発物質を彼の胸一杯に吸い込みたくてたまらなかった。そのせいで、あやうく出口で手に小さな白いウェルカム・ボードを持って立っている巨大な黒人を彼は見逃してしまうところだった。

「ブルーム様」

ボードには、やけに元気のいい字でそう書かれている。

「それ、俺のこと?」

もしやと、俳優はガラス越しに広がる黄昏色に染まったニュージーランドの空に,未練な視線を貼り付けたまま尋ねた。

「オーランド・ブルーム様でいらっしゃいますか」

巨人は、朗らかで親しみのこもった目で尋ね返した。背が高く、痩せ気味で、ヨーロッパ製のゴミみたいな格好をしたオーリは、にこりと笑った。

「そうだよ。で、君は俺を迎えに?」

「左様です、サー」

「へえ、会社がそんな粋なことしてくれるとは思わなかったな。凄ぇや」

迎えの男はためらう間も与えないすばやさでオーランドの手荷物を取り上げた。

「こちらへおいでください、サー」

「オーリって呼んでくれよ」

巨漢が人ごみの中をなるべく楽に通り抜けられるように気を使ってくれているのに気がついて、彼はそう云った。外に出たとたん、ニュージーランドの涼しく爽やかな空気が彼らを包んだ。オーリはさっそく彼の憎むべき悪癖を実践した。その間に迎えの男はちょうどカーブを曲がった辺りに隠れるようにとめてあるリムジンへと向かっていく。

「あ、」

とオーリは立ち止まった。

「俺、荷物を忘れてきちまった。これを吸い終わったらとりに行くから、それまで…」

「そのようなことは全てこちらでやります、サー」

(ワオ)  

オーリは驚いた。そして美しい夕闇と煙草の味を満喫しながら、ピカピカに磨き上げられた車のフェンダーにちょっと手を触れた。

「二三週間キィウィ鳥を置きざりにしておくと、撮影所としてもこういう贅沢を俺にさせてやろうっていう気になるんだな。LAからはこれが普通になるんだろ?(注:宣伝のため、主なキャストは撮影終了後から全世界を回ることになっていた)」

彼は窃盗犯がするような性質の悪い笑みを浮かべつつ、車を詳細に検分した。

「白か。貧乏撮影所がオークランドに白いリムジンを持ってるなんて、神さまだってご存じないぜ。今後ともちょっとばかり年食ったエルフの俺を迎えるためだけに使ってほしいな。ピーターはさだめし明日から俺を死ぬほどこき使おうって魂胆に違いないんだから。」

自分自身と人生の運命を笑いとばしながら、オーランドは男を振り返って尋ねた。

「名前はなんて云うんだい、兄弟?」

山が揺れるような感じだった。

「カフナといいます、サー」

「マオリ人?」

「ポリネシアです、サー。さてもう参りませんと。皆さんお待ちかねですから」

「いいね!」

俳優は目を輝かせて笑った。

「その表現は気に入ったな!どうやら撮影所の連中は何かゲテモノを俺に食わせようってパーティーを思案中なんだな。そいつは願い下げだけど、でも俺の兄弟たちに会えるのは嬉しいや、ホビット連中にさ。さだめしあいつらの企画だろう?」

「それは秘密です、サー。」

カフナは云った。

「やっぱりな」

オーリは鼻を鳴らすと煙草をつまんで後部座席の灰皿に放り込み、それから長い足を伸ばしながら革張りのシートに深深と座った。カフナは彼の後ろ、オーリを斜め右後ろから見れる位置に乗り込んだ。カフナの体重でリムジンが傾いたので俳優は面白がった。白い高級車は緩やかに発進し、空港を離れていった。

「ぐるぐる同じところを回っているような仕事は怖いよ」

オーリは興奮からずっとぺらぺらと口を動かしていた。

「どんなに一生懸命がんばったって、物事がちゃんとうまくいくなんてことはめったにない。だろ?だからピーターは多少は撮り直しも必要だろうって云っていたんだよ。だからまあ、もう一回あのギャングらに会えるだろうってことは判ってたんだ。あ、撮り直しってのは、なにかどこかの映像に変な点があったりしたら、全体のアンサンブルを考えて、ちょっとずつ撮り直す必要があるって意味だよ。俺一人のシーンはそんなにないみたいだけど。これは神さまに感謝しなくちゃだよ。信じられないけど、ホントに俺、あのくそったれどもに会えなくて寂しくてたまらなかったんだ。あんた、俺の他に誰かをもう拾った?」

「いいえ、ブルーム様。」

カフナは云った。

「貴方だけです。」

「へぇ」

彼は自分の乗っている車が、ぐるっと円を描くように道を回って何かのゲートを通過し、飛行場のさらに奥まで入っていくのに気がついた。

「誰か他のやつを迎えに行くのか?」

カフナの大きな顔に不思議な微笑が広がった。

「秘密です。私が申し上げられるのはそれだけです」

オーリはやがて車が個人専用の飛行機格納庫に近づいていくのに気づいた。

「なんてこった。どうやらカッコよすぎてコマーシャルにも出られないようなデブのスーツ野郎どもと相乗りしなきゃならないらしい。なあ、まさかあのどケチなニュー・ライン・プロダクション(注:LOTRの製作会社)の役員どもと一緒なんじゃないよな。この車ん中に四駆とか積んでない?したら俺は車で行かせてもらうからさ…」

カフナは車内を移動して、据え付けられている冷蔵庫のドアを開けた。オーリは車が寄せられていく先にあるファルコン機の、美しい流線型のボディのドアハッチが豪華な機内に彼を迎えいれるかのように開いていくのにすっかり見とれてしまっていた。

「おいおい見ろよ。信じられねぇな!」

オーランドに近づきながら、カフナの手がすっと上がった。だが彼はビールを握っていたのではなかった。彼はいきなりオーリの柔らかい腹部にスタン・ガンを押し付けたのである。20万ボルトの電撃が完全に無防備だった俳優の身体の中を走りぬけた。ブルームの体が跳ね上がり、背骨が反り返った反動で後頭部が革張りのヘッドレストにぶつかって跳ねた。彼は最後の瞬間叫び声を上げようとしたかもしれない。だがその時には、喉の筋肉すらもう動かすことは出来なかったのである。

一方で、カフナは完全に冷静だった。彼は人間を動けなくするのにはどれくらいの電圧でいいか、までも計算していた。巨漢はオーランドに覆い被さるように身を伏せると、かちかちに硬直した体を引き寄せ、血みたいに赤い色のシルク・シャツをたくしあげた。それから、数ヶ月前まではそれなりにお洒落だったが今はすっかり時代遅れになった、てかてか光るズボンの腰周りに親指をつっこむと、それをぐいと押し下げた。

オーリの白い尻がぽんと剥き出しになった。カフナはなれた手つきで胸ポケットを探るとそこから箱を取り出した。蓋をあければ注射器が入っている。片手でキャップを外し、それから彼は針先をオーランドの皮下に打ち込んで、透明な液体をすべて注入した。

針を引き抜いてから、カフナは俳優の硬直した体から力が抜けていくのをじっと観察した。がくりと垂れたオーリの頭部を、カフナの大きな掌はがっしりと支えた。

白の超高級リムジンは、空を滑空する大鷲のようになめらかに飛行機の翼下に近づいていった。運転手が後部座席のドアをあけると、カフナは片手を俳優の腰に回し、ぐにゃぐにゃの身体を引きずり出した。それから筋骨隆々とした肩に担ぎ上げると、ポリネシア人はどこかにぶつけて俳優に痣を作らせたりすることのないように、慎重に飛行機のステップをあがり、彼の身体にとっては小さいドアをくぐった。ハッチが閉じられた。リムジンが何事もなかったように離れていった。ファルコン機のエンジンが生命を取り戻し、美しい首を夕闇に沈む空へ向けて、ゆっくりと動き始めた。

 

第2節 契約

飲みすぎた。

頭の中にしつこい痛みがあって、彼は夕べのことを何でもいいから思い出そうと努力した。が、無駄だった。この際はなるたけ長く眠ってしまおう。そう考えた彼は何度もぐずぐず寝返りを打ってベッドにしがみついていたが、しかしついに自然の要求が、よれよれの飲みすぎ俳優に目を覚ましてトイレに行けと要求した。

彼はシーツの中をまさぐった。自分だけ?これはいささか期待外れだった。もちろん彼は、本気でカールやヴィゴが自分のベッドに寝ていることを期待していたわけではなかった───ただ、もしそうだったら興味深いことになっただろうにとは思った。非常に困惑するだろうが、しかし、興味深くはあろう、と。

とりあえすトイレに行って、それから煙草を見つけて、それからボトルでエヴィアンを飲まなくちゃ。彼は思った。この優先順位が決まると、オーリは目を開いて小奇麗なスイート・ルームをぐるりと見回し、それから、ここはどこだ?と首を捻った。備え付けの家具類は、これまで彼がウェリントン市内で泊まったことのあるどんなホテルのものよりも豪華だった。

(どうやらここは俺の部屋じゃないな。くそ、何か思い出せさえすれば───)

小さなノックがし、それからドアが開いた。食べ物の匂いと、そしてばかでかい男がオーリの寝室にトレイを捧げ持ちながら入ってきた。

「おはようございます、ブルーム様」

目を見開き、オーリはあえぐと、恐るべきポリネシア人の男から出来る限り遠くへ逃げようと、よろめきながら立ち上がった。

「お、お前…お前は…」

舌が絡まり、彼は言葉につっかえた。

「カフナです、サー」

自分がシルクのトランクスしかはいていないのに気づいて、オーリは男から目を離す危険性も忘れて自分の腹にすばやく視線をやった。二つの小さな円形の火傷の跡が、まさにカフナが彼にスタン・ガンを押し付けたあの場所に残っていた。

「てめえ、このキチガイ!俺にいったいなにをしやがった!」

巨漢は華麗な金箔の施されたルイ16世様式のテーブルにトレイを上品にのせると、皿に被さっている銀色のドーム状の蓋を持ち上げた。

「まだ貴方の好物を存じあげませんので、今朝はこちらの厨房にあるもの全てから少量ずつ選んで参りました。サー」

彼の大きな手が繊細な彫刻の施された椅子を引き、ポリネシア人はその横に立った。まるで、オーリがすぐにも立ち上がって朝食を平らげにかかるだろうと信じて疑わないかの様子に、オーリは頭をぶるっと振って、そしてやっとこれが飲みすぎとか麻薬のせいではないということを悟った。彼は吐き気と戦いながら、もたつく舌でできる限り明せきに喋ろうとした。

ここはどこだ?

「シドニーです、サー。ワードローブにはお召物もございます。サイズは合うはずです。またこちらにはあらゆる銘柄を取り揃えたバーと冷蔵室がございます。それから、貴方様のお吸いになっている銘柄のシガレットも1カートン買っておいてございます。ただ、差し出がましいとは存じますが、お煙草はおやめになることをお勧めいたしますよ。───もし、何か他にご入用のものがございましたら、そこの電話をとって、それを仰って下さい。すぐにご用意いたします。」

カフナはドアへ向かうとカードキーを取り出した。それから彼は敷居の上で立ち止まった。

「主人があと一時間ほど後にお目にかかりたいと申しております。それにふさわしい格好をされていらっしゃいますよう、お願いいたします」

ちらりと眉根にひらめいた表情が、その要求を満たすには多少オーランドにさせなければならない仕事があると考えているらしいことを語っていた。ドアがぱたりと閉じた。

オーリは跳ね起きると、一拍で部屋を横切ってドアの取っ手をやっきになって捻った。

しかしもちろん、ドアはびくりともしなかった。

 

第3節 役者決定

まるきり非現実的だった。オーリは窓の傍の椅子にくずれるように座りこむと、広大かつ極めて美しい邸宅の周りを取り囲んでいる芝と庭を呆然と見詰めていた。身体が小刻みに震えていた。

カフナが去った後、彼はバスルームに駆け込んで吐いた。それから彼は部屋中を探検して回った。窓には鉄格子。完全なドアロック・システム。こんな扱いを受けるに値するような悪事をかつて自分がしたろうかと、彼はほとんど頭蓋骨を割らんばかりに考えた。自分は誰かを怒らせのたろうか?俺は何をした?そしてやつらは俺に何をしようというんだろう?

チクタクと時を刻む時計に目をやって、やっと彼はシャワーをあびることにした。惨めな気持ちで体をごしごしこすりながら、もしこの不安と時差ぼけさえ洗い流してしまえたら、筋肉にある痛みと頭の中心のぼんやりした感じ、そして恐怖を外においやってしまえるだろうに、と思った。

それから彼はバスルームの鏡台に自分のリュックの中味がきちんと並べられているのを発見し、怒りに目がくらみそうになった。誰が彼の髭剃りに、ヘアブラシに、コンドームの箱に触ったのか?やつらは『Atlas Shrugged』(注:Ayn Rand著・1957年出版のベストセラー小説。"世界を止めることが出来る男"を主人公に生と死を考察したミステリで、「第二の聖書」と評価する文学者もいる)のペイパーバックについてどう思ったろう?ワードローブにある服は高品質だった。女王陛下にも会えるようなフォーマル・スーツで、縫製は熟練の職人の腕によるもので、シャツとスラックスはまるで自分の第二の肌のようにぴったりとしていた。いったいどうやってこうまで完全に自分の体の寸法を知ったものだろう?次は一体何が起きるのか?

カフナは戻ってくると云ったまさにその時間きっかりに現れた。それから彼は慇懃に、おびえきった俳優をドアの外へといざなった。何枚のドアといくつの部屋を通り抜けたのか、もうオーランドに判らなくなったころ、やっと、彼らはやけに大きな書斎部屋にたどり着いた。カフナは俳優に、窓の傍の椅子に座るよう示した。ちょうど書類の山積みになった巨大なデスクのまん前である。

「主人は直ぐに参ります」

オーランドは一言も発しなかった。奴らが答える気になったら、彼はたとえどんな質問であろうとも回答を与えられるだろう。だがそうでなければ、こいつらは一切何も喋る気などないのだ。それをオーランドはもう理解していた。

足早な物音と共に、背の高い、白髪混じりの男がデスクの後ろのドアから入ってきた。手には書類の束、顔にはにこやかな笑顔を貼り付けている。彼はデスクをぐるりと回ってオーランドの前に来ると手をさっと差し出した。自動的に握り返してから、オーリは自分の手が汗でぐっしょり濡れているのに気づいた。

「よい朝ですな、ブルームさん!」

男は言った。奇妙なほど親しげな声に親しげな微笑が浮かんでいる。オーリがあっけにとられてまごついているあいだに、男はどうするでもなくさっさとデスクにもどって彼の椅子に腰掛けたので、オーリもなんとなくまた客椅子に腰をおろした。

「私はグラント・マーティーンと申します。何故私があなたにここにおいでいただきたく思ったのか、あなたはさぞ不思議に思われているだろうと思います。」

グラント・マーティーンはオセアニアで最も有名な男だった。新聞、テレビ、映画配給会社を傘下に収めるメディア王。つまりがテッド・ターナーやリチャード・ブロンソンのオージー版だ。しかしいかに彼の権力が巨大にせよ、オーランド・ブルームのような俳優を誘拐して一体どうするつもりなのだろう?俳優は喉が渇いて仕方なかった。するとカフナが魔法のように彼の隣に現れ、銀のトレイにのったグラスを差し出したのである。ご丁寧にもグラスには水と氷が入っていた。彼は感謝しつつ、冷たい液体を流し込んだ。それが喉を滑り落ちていくにつれ、気持ちが落ち着いていくのを感じた。

マーティーンは椅子を回し、彼の背後に飾ってある肖像をオーランドに指し示した。

「こちらは私の娘のシルヴィです」

マーティーンは長い間、愛情をこめて、じっとその肖像画を見つめていた。とても美しい少女で、おそらく16かそこらで、つまりは少女の美しさと大人の女の魅力の両方を持っていた。乗馬ズボンに乗馬服を着、ブロンドの髪に黒いビロードのハンティング帽を被り、頬は健康そうな紅色に染まっていて、二つの瞳は明るいユーモアの輝きがあった。

「可愛らしい方ですね。」

オーランドは沈黙を破って言った。

「ええ。ほんとうに。」

マーティーンは溜息をつき、それから厳粛な現実に向き直った。

「だが、娘はもうすぐ死ぬのです。ブルームさん」

彼はお定まりの「それはお気の毒です」の返答を待たずに、平坦な口調で言った。

「大脳ガンでしてね。手術も不可能なのです。」

一呼吸起き、それから薄い唇が言葉を紡いだ。

「腫瘍は娘から多くのものを奪っていきました、ブルームさん。しかしそれでも娘は、好きだったあるものには、今でも驚くほどよく意識を保つことが出来るのです。ロード・オブ・ザ・リングは娘の愛読書でした。そして第一部の映画を見た今、娘は、なんというか、この物語に没入してしまったのです」

オーランドはそれが一体自分に何の関係があるのか聞きたかった。しかし答えは向こうからやってきた。もっとも、彼はその答えは絶対に自分にとって不吉なものにちがいないとは予測していたが。

「私は率直な人間です、ブルームさん。ですので単刀直入に申し上げることにしましょう。私のいとしい娘シルヴィは、あの空想の世界に入り込んでしまったのです。娘は信じている───本当に信じているのです。娘の頭の中ではあの世界は実在しており、そして娘は、エルフのプリンセスであるアルウェン姫になりきっているのです。そして私は娘の夢をかなえてやってきました。娘は私にとって人生の全てだからです。娘は自分はサウロンの悪の力によって死につつあるのだと考えています。」

オーリの顔に浮かんだ疑問と当惑を読みとって、彼は続けた。

「ええ、あなたのお気持ちは判ります。私は自らこのファンタジー作品をあらゆる角度から徹底的に研究しました。あなた方がお作りになった映画も調査させていただきましたよ───三部同時に撮影しているせいで、貴方達だって何を撮影されているのかわからなくなっている時すらも、もうあの馬鹿げた撮影は終わっただろう、もうそろそろ編集に入っただろうと、ただそれを確認するだけのためにね。そして今や明らかになったのは、どうやら娘は続編を見るまでは生きられないということなのです。」

瞬間、吹き上げた怒りでマーティーンの顔は紅潮したが、彼はなんとか自制心を保って、続けた。

「娘は死にます。ガンは広がる一方で、医師も余命については知りません。ただ、あと数日だろうとだけ云っています。」

カフナが再び現れた。今度は彼は彼の主人のために、琥珀色の液体を主人の手の傍にそっと置いた。

「私はリヴェンデルの寝室を再現しました。フロドが目を覚ました、あの部屋です。シルヴィはそこで生活しています。ほとんど寝たきりですが。…ブルームさん。娘は彼女の空想上の友達に会いたいというのです。“レゴラス”に会いたい、と。」

カフナがデスクの上、オーリから一番近い場所に、あるものを置いた。カフナがどいたあと、俳優はその服の山を見て目を見張った。それは彼の、エルフの、衣装だった。リヴェンデルでの会議のシーンで彼が着た、あの上着とズボンと、そして美しいガウン全てがきちんと揃っていたのである。

「ちょ、ちょっと待て」

彼はどもった。

「冗談じゃない、俺にはそんなことできな…」

「私は正式なルートを通じてあなたとコンタクトを取ろうと、必死の努力をしたのですが。」

マーティーンは済まなそうな響きをにじませて続けた。

「私の部下は何度もそちらのエージェントにアプローチしております。天文学的な数字の金額を提示してね。」

オーランドは、はたと思い出した。そういえば、彼のマネージメントからやけにヒステリックな電話が何回か来たことがあったのだ。だがオーリはそんなオファーは単なるジョークとしか思えずに捨てておいたのである。だいいちそのオファーの日程は『リターン・オブ・ザ・キング』の撮影と重なっていたからどうしようもなかった。他のどれよりも先にそのオファーがきていれば…しかし結局のところ、『ロード・オブ・ザ・リング』こそがオーランド・ブルームの映画俳優としての初仕事で、そこから全てが始まったのだから、やっぱりこうなるしかなかったとうわけだった。

(こんな馬鹿な話があるか?)

オーリは呆然と考え、そして突如として彼の中に巻き起こった怒りが、それまでの恐怖を圧倒した。

「てことはだ、あんたは病気の娘の見舞いを俺にさせる、たかがそんなことのためにこの俺を誘拐しやがったってのか? 一体どんな脳みそがあったらそんなことを考え付くんだよ、マーティーン?」

「絶望ですよ」

マーティーンの声は急に冷たくなった。

「私に下劣な口をきかないでいただきたい、ブルームさん。私には時間がないのだ。君は私のためにこの仕事をしなければならないし、しかも正しくやりぬかねばならないのだ。君には私がそうせよということは全てしてもらう。全て終わって、私が帰っていいと言ったときには、君はポケットに極めて巨額の金を突っ込んでニュージーランドに帰れるだろう。だが君が失敗したり、シルヴィを混乱させたり傷つけたりするようなことを何かしでかしたら、私は誓って君を殺してやる。以上だ。ご理解いただけたかな?」

彼は凍りついた俳優からの返答を待ちもせず、オーランドの前に紙の束を投げてよこした。

「台本だ。暗記しなさい。出番は2時間後だ。これからカフナが私が選んだメーキャップ担当者のところに君を連れて行く。私をがっかりさせないでくれることを祈る。ミスター・ブルーム」

彼は立ち上がり、ドアから出て行った。

 


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