trial 3 prosecutor

刑法

第176条 13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫をもって猥褻の行為をなしたる者は、六月以上七年以内の懲役に処す。

同181条 176条の罪を犯し、よって人を死傷に致したる者は、無期または三年以上の懲役に処す。

同207条 二人以上にて暴行を加え、人を傷害したる場合に、傷害の軽重を知ること能わず、またはその障害を生ぜしめた者を知ること能わざる時は、共同者にあらずといえども共犯の例による。

  


 

家庭裁判所調査月報 第678号 
寄稿文『PTSDと家族ケア  室井明子』(一部)

『…そうして公判が近づくに連れ、思った通り本人にはいろいろと異常な言動が増えてまいりましたので、公判前日に予約していたセラピーの先生との面接を繰り上げた方がいいだろうかと、家族でよほど悩みました。けれど先生が、自尊心を保つためには面接予定日はなるべく正確に守るようにしたほうがいいと仰って下さっていたので、本人にその旨を説明し、どうしたいかを訊ねたところ、しばらく考えまして、二つのものを所望いたしました。一つは先生の直通の電話番号で、自分から掛けることはないと思うけれども、いつでも電話できると思っているだけで安心できるからと、そう云いますので、お願いして先生に教えていただきました。

もう一つは息子の友人がお持ちになっていたコートで、息子は救出時のどさくさでも、その色だけは覚えていたのでございます。それがあれば安心するからと云うことで事情をお話ししたところ、その方も快く譲って下さいました。

それから一週間ほど、二人で家にちぢこまるようにして過ごしまして、記憶に嘆き、苦しみながらも、それでも前日までなんとか漕ぎつけることが出来ました。結局セラピーの先生には電話も致しませんでしたし、お譲りいただいたコートもクローゼットに掛けっぱなしでございましたが、そういうことだけでも心持ちは全く違うものでございます。

その後、公判前日の、先生との楽しい面談では、ぱっと明るい気持ちにさせていただき、本当に先生には感謝です。また公判に息子は欠席することも、この時に決めたことでございます。このことが裁判に与える悪影響なども私は心配しておりましたが、このようなケースの場合には、被害者側の欠席は裁判長の心証を悪くすることはないそうで、それならと、遠路はるばる傍聴においで下さった方々には失礼ながら、息子の健康を優先させていただきました。

またこの日には夫も私の友人らと一緒に休暇を取って駆けつけ、また友人の刑事さんもお友達の方々とおいでくださり、久しぶりに賑やかに大勢で食卓を囲みました。今から思えば初陣式だったような気がいたします。大勢で秋田の地酒を何本も空けまして、飲み食いの間に昔話から何から、なんとも泣きながら笑い、笑いながら泣くといった風で、本当に、あの夜は人の情けのありがたさが心に沁みました。

息子一人が裁判の行く末にかなり悲観的でしたのも可笑しく、みな口をそろえて、絶対に負けるはずがないし、またあらゆる手段尽くして犯人に罰を下してみせる、だから息子には自分の弱気と闘って欲しいと求めました。

また丁度この時に福井の大叔父からハガキが参りまして、墨書にて、

 「  業鏡高懸 三十七年 
    一槌打砕 大道坦然 

 此れ北条時頼が辞世の句に候。業の深き生にても、心直ぐければ恥ずべくもなく候。和尚」

とありまして、実はそれまで親類の縁の薄さに涙が零れることもあったのですが、山に籠もっている叔父からこのような勇気凛々たる一句を貰いますと、本当に現金にも元気百倍という感じでございました。

なんでも北条時頼という人は、争乱に明け暮れる鎌倉幕府の執権として、困難の多い、また少なからぬ罪も犯した人生を過ごしたようでございますが、その反面禅に深く帰依し、修行も積んだ徳高い人物でもあったそうです。わずか三十七で亡くなるのですが、そういえば息子と同じ程度の年齢でもあり、その人が、自分の為した罪も善行も、全て後の世の人の踏み行くための、なるべく広い道であれば嬉しいと辞世で述べるなど、その気宇の壮大さには心から感心しますと共に、そうだ私どもも嘆いてばかりはおられない、たしかにこの闘いは我が息子の闘いではありますけれども、このような犯罪に苦しむ全ての被害者のためにも、必ず勝たねばならぬと、なんの恥でなどあるものかと、ともすればかがまりがちの背筋がシャンとのびるような気がいたしました。

またその初陣式で、私の秋田からの友達が眦を決して云ったことですが、「例え裁判が終わっても、被害者の傷が軽くなるわけではないのは判っているけれど、何かのかたちで決着が付かなきゃあ、本当の意味で被害者が人生を再スタートすることはできないのよ。だから室井さんは息子さんのためにも、石にかじりついてでも勝たなきゃだめなのよ!」と励ましてくれたのには、本当にそうだと皆で頷き、涙が零れたものでございます。

そうは言っても裁判は水物と申しまして、絶対と云うことはないのですが、こういう友人知人に囲まれまして、私ども夫婦は、いざとなれば最高裁まで、10年でも20年でも闘うと、その覚悟が出来たのもこの時でございます。今から思えばちょっと滑稽なような、悲愴な覚悟でしたが、けれど私は不思議に絶対に負けないと確信してしまいまして、来るなら槍でも鉄砲でも何でも来いと、ちょっと腹が据わってしまったのか、始まる前からやる気満々、意気軒昂でございました。

 さて翌日は幸いほんとうにすっきりした初夏の五月晴れで、雲一つない青空が、東京上空にずうっと広がっておりました。私は胸に叔父の手紙を入れ、それを見上げて、ああついに始まるわと、なんともいえない思いに胸がいっぱいになっておりました。

裁判所の前にはすでにマスコミの方がカメラをずらっと構えて待っておいででした。私は久々に厭な気分になりました。でも自宅の前にいる訳ではないですから、帰ってくれとも言えません。夫に手を引いて貰って、黙ってフラッシュの垣根の間を歩いて通りました。色々聞かれましたが、お答えはいっさいしませんでした。さぞ鬼のような顔をしていたろうと思います。

裁判所の中も傍聴席は一杯で、整理券も出たそうでございます。幸い、遠路よりおいで下さった友人はみなチケットを取ることが出来ましたが、普通はそううまくはいかないそうでございます。なんだか私には、天も応援してくれているというか、幸先の良いことのように思われました。

ただ、ずらっと並んだ傍聴席のマスコミ関係者には腹が立ちました。これでまた息子が色々と書かれ、そしてまた傷つくのだと思うと、犯人への怒りとマスコミへの怒りと、それを見て楽しんでいる一般社会への怒りとがぐわっとこみ上げて参りまして、本当にあのころは、友人・知人を除いた世の中全体が敵のように思えたものです。

幾つかの出版社などは、実はよほど名誉毀損で訴えてやろうかと思ったのですが、そうしますとただでさえ負担の重い息子に、一層の重荷を負わせることになるだけだと。ご存じのように、日本では民事裁判というものはに大変時間がかかりますし、そう言う風に説得されましたので、それでなんとかこらえている、という、何ともやりきれないこともありました。裁判そのものよりも、そう言うことの方がよほど辛かったことでした。

これは犯罪被害者の家族の皆様がお感じになることだと思いますが、もしこの時良きセラピーや、友人・知人、捜査関係者の方々の真剣な援助がなければ、とても被害者一家だけで耐え抜けるものとは思えません。ほんとうに、ストラッグルの日々ともうしましょうか、よくもまあ司法やマスコミに身を置く皆様は、あのような殺伐たるお仕事をずっと続けていられるものだと、失礼ながら奇妙に感心したくらいでございます。

当日のことは、興奮してしまってあまりよく覚えておりませんのですが、仲村検事さんの誠意あふれる起訴状に、涙が零れてしかたありませんでした。ほんとうに私どもの辛い、くやしい気持ちを代弁してくださったと感謝致しております。

検事さんについても、最初はあまりこのような事件に詳しくないという気がして不安でございましたが、起訴状を拝聴し、すっかり信じる気になれました。

刑は無期懲役という、普通からすれば非常に厳しい、限度一杯の求刑であったとかです。が、私にしてみれば死刑を求めたい気持ちでございましたので、それはあまり驚きませんでした。夫の方が驚いていたようでございます。ちなみにこの起訴状はあとからコピーを頂きまして、家に大切に保管してございます。

それから、裁判が始まりまして意外に良かったことが、公判日程というのが決まったことでございます。

裁判が始まりますと、裁判所の方から、今度は何月何日ごろにこうこうの予定だ、と教えてくださるのです。そうすると私どものスケジュールもそれに則って決まって参りまして、それまでの滅茶苦茶な生活にようやくリズムが出て参りました。

というのも、息子はささいなことで気分が激しく上下するのですが、特に公判日が近づく一週間くらい前からは悪化の一途を辿り、公判日は最悪状態に落ち込みます。呼びかけても反応しなくなりますし、食物も受け付けません。ベッドから起きあがるのも嫌がります。それで私どもはこの状態を、不謹慎ながら「寝たきり慎ちゃん」と呼んでおりました。なんだかあの頃はそういう冗談を言っては笑っていたのでございます。

でも、最悪状態もあらかじめ予定としてスケジュールに組み込んでおきますと、以前のように半ば程度の気分の上下に慌てることも少なくなりまして、しまいには冗談で、「次は何日頃から“寝たきり慎ちゃん”になる予定だから、その前のここら辺で旅行に行きましょう」とか、「あらやっぱり風邪も併発したのね、でも今回は頭痛が無くて良かったわね」なんていう風に、病気をスケジュールに織り込むこともできるようになりました。

こういうふうにリズムを作って生活することで、私どもは病気と「闘う」のではなく、なかなかスリリングな「お付きあい」していたように思います。

癌や何かと違って、PTSDは切って捨てることが出来ません。ですから、いわば爆弾を抱え込んだまま、なんとか爆発しないように、しないように、なだめなだめ生活するしかありませんでした。これ一発で治るというような特効薬は、精神的問題の場合、残念ながら、ないのだそうでございます。

ですから私としましてはなるべく日常生活を穏やかに、また食欲の少しでも湧くようにと、料理をひと工夫したり、明るい食器を持ち込みなどして、また家から笑いが絶えないようにと、そういうシンプルなことだけ心がけて過ごしました。

また二人で方々へ旅行も致しました。息子の気分転換になればというのもありましたが、行く先々で出会う日本の自然の美しさには、私自身にとっても長い闘いの中での貴重な息抜きになっていたように思います。こういう病気とおつき合いするには、患者だけでなく、その周りの人間の精神的健康の維持も非常に重要でございます。

以上、こういうことも公判の予定が立ったからできたことです。これから裁判にかかられたり、もしくは現在も係争中の方々に、このような拙文が何かお役に立つことがあるか判りませんが、結論と致しましては、私どもの場合は、辛いこともなにかとありましたが、やはり裁判になってよかったと言えると思います。…』

    

  * * *

   

<一倉手記>

『傍聴人中過半数はマスコミ。例のS社のものも見える。不快極まるがどうにもできない。前夜に室井欠席の由、青島から連絡。室井夫妻はそろって出席。毅然としておられる。明子さん多少興奮の様子。池上刑事局長夫人、室井夫妻へ挨拶。奥方同士旧知の仲であると知って驚いた。

新城から開廷前、携帯に連絡入る。東京に出張のついでに裁判について知りたいとか。あいつらしい無器用な云い方である。福岡行きの最終フライトに間に合うよう羽田まで送ることを約束して一旦切る。Nに指示、傍聴人の名前を控えさせた。清和会系組員の名前を検索。所属不明の者三名、永田町関係者と判明。仲村検事による冒頭手続開始。…冷酷無惨の内容、聞くにみな寂として声もなし。明子さん半ばより嗚咽す。小生かける言葉もなく…何度も席を立ちたしと思えど、林被告の陳述を聞くまではと耐える。

…仲村検事の魂魄を吐くような起訴状朗読、終わってみれば40分かかっていた。裁判長は天井を仰ぎ半眼でそれを聞く。職務上感情を表せないお立場であるが、その様子から今後の裁判の行方の有利なるを確信し、小生ひとまず安堵。続いて唾棄すべき被告人弁護士冒頭陳述、予想通り腹の立つ内容にて目新しき論点なし、されど陳容疑者の身柄の確保がなく無期懲役求刑は、検察も苦しき展開にて…』

  

   * * *

  

5月25日 第一回公判 於東京地方裁判所 

検察官起訴状 朗読 (被告人の住所、氏名、年齢の確認手続きののち、本文朗読。はじめに事件経過説明(省略))  

 ……

…さて、かかる残虐非道の犯行につき、本件被告の弁明は、以下の三点に集約されるのであります。

第一に、被告は事件発生時、被害者の身分、名前等につき、何ら情報を持っては居なかったということ。

第二に、被告は陳容疑者の計画したる略取誘拐・拉致監禁・暴行致傷のいずれにも全く荷担せず、ただ現在なお逃走中の陳容疑者に、食料品等を運んでくるよう指示され、舎弟関係のせいでやむなくそれに従ったまでであるということ。

第三に、拉致監禁されている被害者を見た後に自分が加えた暴行についても、全くその状態を拉致監禁だとは思わず、またその後の暴行についても、被害者の同意の上でのSM行為であると考えていたということ。

従って被告は本事件について、自己の全面無罪を主張しているのであります。

しかしながら、以上の被告の主張は事実無根であり、また被害者の名誉を著しく毀損するものでもあると云わねばなりません。

――――とくに本事件につき、一部マスコミが興味本位に書きたてている第三点については、この暴言が全く事実に反していることを証明し、加えて、本法廷の後にも、尚そのような誤解を招く記事を公けにするような者がある場合、それは取りも直さずこの起訴状をしたためた、本官に対する名誉の毀損であると判断し、本官は、被害者の同意を得た上で、個人・法人を問わず、個人として、その者を名誉毀損で起訴する覚悟であります。(傍聴人席どよめき。裁判長注意「静粛に。」また検察官に注意「検察官個人の発言として受け取られかねない」旨、弁護士の異議を認め、この部分記録より削除。)

…さて、今から申し上げる部分は、被害者の被った傷害の内容についての、カルテのごく一部であります。

あえて全てを申し上げないのは、これから申し上げる部分だけで、十分に、本件被告の身に3日間にもわたって徹底的に加えられた暴行が、いわゆるSMプレイなどと呼べるようなしろものではなく、まさに、人間肉体と精神の虐殺を意図した、残忍極まる拷問であったということがお判り頂けると確信するが故であります。

(虎ノ門病院カルテより抜粋・朗読。添付資料bP1〜51)

『…救出時は全裸にて、全身に打撲・擦過傷無数にあり。脈拍50、血圧30−70。重体。極度の脱水症状とショック症状を呈し、救急ヘリ内で意識喪失。搬送中に送管。到着時すでに昏睡。頭部出血・打撲傷あり。脳死を疑う。MRI検査。午前0時7分ごろ一時心停止、危篤。2分後心拍再開。血行不良による両手足末端の軽度凍傷。左眼底に出血。失明もしくは視力障害の後遺症を危惧。要検査。

…胃に内容物なし。少なくとも24時間は一切の飲食物を摂取していない。ブドウ糖と生理食塩水3単位投与。500cc輸血。腎・肝機能障害を畏れ、以後経過観察。午前五時すぎ安定。脈拍80。血圧70−100。峠を越す。

…後頭部、左側頭部、左上顎部、右こめかみに大きな殴打痕。頸部におそらくビニールテープで絞められたらしき圧迫痕、窒息による肺の一部浸潤。さらに声帯を損傷。声は殆ど発せない。(発声の不良については、器質的と同時に心理的要因も予想される――――注:精神科主治医。)

両手首に鋭利な金属(恐らく針金ではあるまいかと思われる――――注:外科主治医)で緊縛された痕跡、皮下に食い込み深さ2ミリから4ミリの裂傷。左鎖骨複雑骨折。損傷の形態から、凶器はおそらく角材と見られる。右手中指・人差し指・薬指、左手人差し指・中指の付け根部分、すべて骨折。押せば手の甲に付く。押し折られた模様。

…胸部に5センチ画の刺青あり。喉の下、鎖骨と鎖骨の間から縦に一五センチほどの刃物による切り傷。腹部へその下から陰茎の付け根部分部まで切り傷。左第4肋骨骨折(何かで突かれたか、蹴られたかの様に見える――――同)折れた一部が肺を傷つけるも、奇跡的に傷跡は浅く出血は少量。第3・5肋骨にひび。

…肛門部に尋常ならざる裂傷あり。出血多量。クラミジア検査に陽性反応。梅毒検査陰性。エイズ検査陰性。直腸より精液を検出。血液型RH-AB。本人のものではない。大腿部内側から臀部にかけ多数の裂傷。針金か紐のこすれたような痕が膝裏から腰椎まで斜めに走る。

…DMSVに基づき急性PTSD(外傷性ストレス障害)と認定。重度の睡眠障害と極度の抑鬱で絶え間ない自殺念慮あり。睡眠導入剤と抗うつ剤を処方。自己同一感覚を喪失し、感情の選択能力がなくなったため、一見すると自閉症のように表情はいっさい動かない。無配慮に事件に触れると恐慌状態に陥る。人格崩壊の寸前で踏みとどまっている模様。衝動的自殺の畏れがなくなるまで少なくとも二週間程度の、絶対に安全な環境での入院加療と観察期間を要す。

看護人への注意:治療に当たる際は、緊急の場合以外、必ず、「何を」「何のために」「どのような方法で」行うかを明言し、それら全てに患者の同意を得なければ、絶対に患者のどこにも触れてはならない、また、いかなる治療も行ってはならない。投与する薬物についても事前に説明し、必ず承諾を得てから処置すること。できれば好きな薬を選ばせるような、ある程度の選択可能性を与えられればなお良い。もし薬物に対し抵抗のそぶりが少しでも見えた場合は即座に停止し、内科と精神科ドクターの意見を仰ぐこと。

初期のPTSD患者が口にできるのは、当人が感じていることの100分の1程度であると考えよ。したがって、もし一言でも「厭だ」と発した場合は、相当の拒否の表明であると判断し対処するくらいでちょうどよい。

通常の対人関係構築は、現在まで(救出後1週間目――――注:精神科主治医)不可能であり、見知らぬ男性に会うことにはとくに強い不安を覚えるため、看護に当たるメンバーは女性に限定すべきである。事件について直接は、精神科スタッフ以外はいっさい触れてはならない。患者は重傷の怪我人のようなものである。PTSDは、いわばその結果の火傷と思えばよい。したがってそのPTSDに対し、信頼関係のない他者が不用意に触れることは、患者を再び炎に投げ込むのと同じである。本人が話し始めるまで、決してトラウマに触れてはならない。…」

――――より詳しい内容は、添付した資料に目をお通しいただきたいと思います。

しかし、以上からだけでも明らかなことは、被告小林のなした行為は、とても本人の主張するような「SMごっこ」や「ちょっとしたいきすぎ」として受け取れる内容ではなく、それどころか、被害者の肉体ばかりか、精神までも崩壊の危機にさらした、真に恐るべき残虐な犯罪であるということであります。

この事件にあうまで、被害者はきわめて健康で頑健な、人格の高潔をもって知られる警察官僚でありました。

友人・部下の信望も厚く、社会に正義を貫かんとする、我ら司法界に属す全ての青年たちと同じように、使命感に燃えて職務に邁進されていたのであります。

しかし、11月23日の金曜日、いつもの夜道を帰宅途中、被害者は突然凶漢に襲われました。首を絞められ気絶したところを目隠しされ、車のトランクに投げ込まれ、おそらく数時間後に、厳寒の関東山地のあばら屋に連れ込まれました。そこで3日間、あらん限りの侮辱・屈辱に晒され、家畜の如く縛られ転がされ、殴る蹴るの暴行を受けておられた、その結果は先ほどのごく一部のカルテの内容からも明らかであります。その時の孤立無援の被害者の心情がいかなるものであったか、おそらく我々にはその万分の一も察することはできないでありましょうが、しかしその万分の一でさえも、耐え難く恐ろしい経験であろうとはいえるのであります。

しかしながら被告は先ほどの上記三点につき、すべて自らの罪を否認しております。けれども我々は、被告のかかる証言を信じることはできません。

まずもって、被告は本件被害者の名前すら知らなかったと主張する第一点についてでありますが、被害者自身は何度も名前を呼ばれたと記憶しており、また被害者の身分が警察官僚であることも知っていたと証言しています。というのも被告の「警察官僚ってのはマッポとどうちがうんだ?」という発言を、被害者は聞いているからであります。

また、被告は無職で住所不定、金に困っていたから陳容疑者の誘いに乗っただけであり、罪にかせられるにしろ従犯でしかないという主張にしても、なぜに金に困っている人間がプリペイド式の携帯電話を持っていたのでありましょうか。

またこの携帯電話の契約者は戸籍上には存在しておらないのでありますが、その契約の際に書かれた住所は、現在傷害罪で府中刑務所に服役中の元清和会暴力団組員の住所であり、またここに陳容疑者が出入りしていた事実も明らかになっております。つまり、この携帯電話の契約者は偽名を使った陳容疑者であり、小林被告は陳容疑者と連絡を取る必要上、この携帯電話を貸与されたものと考えるのが自然であります。

小林被告の云うように、「たまたま道に落ちていたのを拾って使っていた」などという証言を信じることは、本官にはとても出来ないのであります。

さらに、その携帯電話で陳容疑者から連絡があって初めて、被告は本事件の発生を知り、協力関係に入ったという証言にしても、日常の金に困っていたはずの被告が、陳容疑者から依頼された食料品等を、なぜすぐさま購入することができたのでしょうか。

さらに、その食料品を購入したというスーパーには、被告の買ったという種類の食料品を売った記録がかつて存在しないのであります。さらに首都圏に厳重にしかれた捜査網をかいくぐって、地元民でしか知らないような間道をあやまたずに監禁場所まで辿りつくことが、たとい二年ほどのトラック運転手の経験があったにせよ、はたして主に都内でしか生活経験のない被告に出来たでありましょうか。

本官には、ほとんど有り得ないほどの幸運と奇跡が重なることなしには、このような行動は不可能であるとしか思えません。つまり、被告はあらかじめ用意されていた食料品などを、あらかじめ決まったルートで、決められた場所に運ぶよう指示され、それを忠実に実行したものと考えられるのであります。

しかしここで百歩譲って、被告の主張の通り、本件の発端である略取誘拐には全く関係せず、ただ偶然と奇跡の重なりによって山中の廃屋に辿りついたとしても、なおやはり、その後の行為については、被告人の犯罪は火を見るより明らかなのであります。

なんとなれば、もしこれまでの被告の主張が事実に基づくのとするならば、被告は初めて被害者の悲惨な状況を見たときに、驚き、かつは恐れて、被告をして犯罪行為に荷担せしめようとする陳容疑者に対し、反抗せざるまでも協力の拒否を表明し、自首を勧め、被害者の救助・保護にあたるのが人としての責務であったからであります。

にもかかわらず、被告はなんら自己の利害に関係のない、全くの見ず知らずの善良なる被害者が監禁され、暴行を受けているのを見たものの、それを救助しようと努めた気配はみじんも認められないのであります。それどころか、被告は自ら主犯らに積極的に協力し、さらに言語に絶する残虐かつ破廉恥極まる拷問を進んで加え、あげくに被害者をあやうく死の淵に追い込んだのであります。

かかる行為の残虐性、非人間性は、被告が主張するような“単なる従犯”の範囲を、大幅にこえるものと本官は考えざるを得ません。

また被告の主張する、被害者との倒錯的性行為は合意の上でのものであるとするものも、破廉恥な詭弁以外の何物でもなく、また被害者が行為を喜ぶような言動をしたと主張する点についても、脅迫によってそう云わされたのであり、そうしなければ殺されるであろうと云う恐怖、さもなければそう云うことによってかかる拷問から解放されうると唆されてのものであり、到底被害者の本心から発した言葉と云うことは出来ないのであります。

そもそも、3日にわたって監禁され、殴られ蹴られすることに「合意」する人間がありましょうか? 両手指を甲につくまで折られ、肩の骨を角材で折られ、肋骨を折られてなお喜ぶ人間がありましょうか? そして以前の人間らしい朗らかな感情をいっさい失ってしまうほどの非道かつ倒錯的猥褻行為の対象とされて、いったいいかなる快楽を感じる人間がありましょうか? 

正常の感覚を持つ男性が、同性から倒錯的性愛の対象にされるなど、ふつう深甚なる嫌悪感と恐怖を引き起こす以外の何ものでも有り得ないのは、世の男性諸君に聞いてみるまでもなく明らかなことであります。

しかるに、もしそのような行為によって喜ぶ人間がいると本気で被告が信じているのなら、それはまさに狂信か、もしくは人間性そのものに対する侮蔑というべきであります。

また、小林被告は、主犯と目される現在逃走中の陳英俊・雪行李の2容疑者についても、その情報を明らかにせず、捜査に極めて非協力的であり、また取調時における態度や、現在に至ってもいまだ被害者への謝罪を表明していないこと等からも、改悛の情がまったく認められないと断定するに充分であります。

たしかにマスコミで書かれているような、被告人の不幸な生育歴が被告の倫理観に甚大な悪影響を及ぼし、また被告が中学生の頃から性的倒錯の傾向を持っていたのは事実として指摘しうるとしても、被害者への暴行を「被害者との合意の上である」などとあくまで自己弁護に終始するなどもってのほかであり、あまつさえその性癖のために、かくも唾棄すべき変態的猥褻行為を終始一貫して被告本人は楽しんだともいえ、また直ぐにカッとしやすい被告人の精神の激発性についても、通常人の喜怒哀楽の範疇から甚だしく逸脱したものとは認められず、本人には事件当時も今も、善悪の識別能力はあったと見るべきであり、これらをまとめるに、被告をして到底従犯としての酌量減軽に価するものとは考えられないのであります。

また、警視庁指定広域暴力団・清和会の元構成員である陳容疑者との、いわゆる舎弟関係があったために、陳の依頼を断ることが出来なかったという被告人の言についても、小林被告がかつて清和会の構成員であった事実はなく、また陳容疑者と被告の間に実質的な上下関係、もしくは貸借関係も存在せず、ただ単に、当時無職の被告が金欲しさに陳の依頼を受け、計画段階から共犯として本件犯罪行為に荷担したものと考えるのが、最も合理的帰結であります。

よって本官は、ここに刑法第207条に基づき、小林博史被告を陳英俊容疑者の共犯と見なし、同第181条・強制猥褻致傷罪に基づき、被告に、無期懲役刑を求刑するものであります。

 

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20011216

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