trial 2


     

苦しみ悩む人に、「それに直面せよ」と説教する人がいる。それを乗り越えてこそ、人は成長するのだ、と。

私は絶対に云わない。万人に普遍的な法則のように、苦しみに直面すれば成長するなどと云う「神話」を唱えることはしない。私は信じない。人には直面することが出来ない苦しみがある。超えがたい山がある。

もちろん、「にもかかわらず」昇ってみるのは君の自由さ。だが、その頂きに立ち、「向こう」を見下ろしたとき、君の眼窩に広がる光景が、君の理解も、シンパシーも超えた、異様な暗黒と虚無であるという場合、――――私はお勧めする。君は,一目散に逃げるべきだ。

人は背負える以上の荷物を負ってはいけない。暗黒を直視してはならない。それは君を座り込ませ、どこにも連れていかず、乾いた路上に朽ち果てさせるだけだから。

我々ふつうの人間は、歩き続けるために荷を軽くしなければならない。そのためには、たとえ大事と思っても捨てなきゃならない。それに「愛」という名がついていようと「正義」というラベルが貼ってあろうと、または「家族」や「友人」の仮面をかぶって君に憐憫の微笑を送ってくれようと同じこと。一切合切を捨てるんだ。捨てるときにはちょぼちょぼ捨てるようじゃあダメだ。ひと息に、殺すように、捨てる。いきの根を止める。それがいちばんだ。

うん? それは冷酷だって? 非人間的だって? ははあ、真実から目を反らすのはひどい欺瞞だと、たくましい君は詰りますかね。

ってことはどうやら君にはまだ、「愛」や「正義」や「憐れみ」が、手垢一つない美しい形象で輝いているものらしい。「悪」や「死」や「惨めさ」が、ちょうどその裏返しの世界にクッキリ分かれて存在しているように、君の世界はさぞ整然として居るんですね――――いや、羨ましい限りです。全く、ご同慶の至りです。

さて…では、私はどうしましょう。

もし君がそう云うのなら――――私は何を云えるだろう。 

私はただ、沈黙しよう。

   

私は歩く。

朔風に凍り付きそうな頬を薄明かりに滲む地平線に向けて、黙りこくって。

背後の闇から、低く、高く、遠く、近く、執拗に、「それ」が呼びかけてくる。私は振り返りたくなる。気が狂いそうだ。だが私は決して歩みを止めない。決して振り返らない。一ミリでも良い、「記憶」から遠くへ。私はそれだけを想う。

私はどこに向かうのか知らない。なぜなら私は道を持たないから。私は光明と闇との境界を彷徨う。付き従う虚無はもう古い友人である。

だがこの一個の虚無はなおやはり夢を見ている。熱望している。流された血が色褪せ、死者達が完全に死に、墓が墓として蓋がれ、すべての「記憶」が死に尽くす瞬間を。

そして私が塵に返る時、世界は私の微笑を見るだろう。

    

 **

    

「室井警視正は、思ったよりお元気そうだね」

室井から受け取った書類を手に、他課の男は中野にそんな感想を漏らした。

「あんな事件があったとは思えない。まあ、私は彼をよく知っているわけではないから、近しい人から見れば相当の心労が透けて見えると云うこともあるだろうが」

室井の「透けて見えるご心労」を話してみないかと、ちらりと毒婦じみた視線を送ってくる男に、中野は眼鏡の銀ぶちを鈍く光らせて注意深く目を伏せた。

まったく、男の嫉妬ほど醜く、恐ろしいものはないものだ。

「さあ、どうでしょうか…。私も警視正をよく存じ上げているわけではありませんので、なんともお答えしかねます。私としては、仕事のスピードが速すぎる位なので、精神上のことよりフィジカルな面をご心配申し上げておりますが」

中野は、まるで英国仕込みの執事が持つような慇懃さで応じた。

「やはり身体の具合は悪そうかい?」

「いえ、そういうことは全く。」

「しかし一時は重体だったんだ、本調子とはいかないだろう」

「私は医者ではありませんので、何とも――――退院されたのですから大丈夫なんではないかと思いますが。私は、復帰直後にあんなに仕事に打ち込まれては、普通の人間でも相当疲れるだろうにと思っているだけです」

「ふむ…」

男はつまらなそうに肩をすくめた。ぬらりくらりとした中野の答弁から、欲しい情報を手に入れることの不可能を悟ったようだった。上背のある中野は、この官僚を見下ろしながら思った。

警視正の同期で、しかしもちろん、彼のはるか後塵を拝している、ぱっとしないキャリア。そうはいってもキャリアだから、自分よりはるか上の肩書きを持っているのだが――――。

(こそ泥め。)

聞きたければ、警視正自身から聞けばいいだろう。知りたければ、警視正自身をよくよく見ればいいだろう。逢って喋ってなおも何も判らないお前だから、いつまでたっても「室井警視正の同期」以上の人間になれないのだ。

中野が室井に同情的なのは理由があって、それは彼が室井の「子飼い」であるという一点に集約される。もちろん一匹狼を覚悟している室井自身が、中野は自分の飼い犬だと見なしているわけではなく、中野が勝手に自分は室井の子飼いだと決めているのだ。彼は、室井が警備課に栄転してきた時以来、室井をこれまでに逢った中で一番マシな――――いや、最高のキャリアだと、惚れ込んだ。もっとも中野自身は素晴らしい鉄面皮の持ち主なので、実は自分はそんな心持ちで居るのだと告白されたら、室井はしんそこ驚いたに違いない。

(それにしても、俺から情報を盗ろうなどとは見くびられたものだ。こんな風に警視正をうわさの種にするだけで、おれは胃がむかついてくる気がする。)

「む、一杯だな」

ちょうど開いたエレベーターはやけに混雑している。箱の中から、乗客が金属疲労したロボットみたいな顔で二人を見返す。中野は一瞥し、どうにか入れそうな一人分の空間を官僚氏に譲った。

「どうぞお先に。私は階段を使いますから」

8階ぶん歩けば運動になって、少しは気分も晴れるだろう。だいいち、こいつと同じ空気をひっつきあって吸うよりは、たとえ20階でも階段を上った方がましだ。

「そうかね」

中野の内心も知らず、それをキャリアへの遠慮と受け取った男は鷹揚に頷き箱に小太りの身体を押し込んだ。その時、中野はふと思い出したように声をかけた。

「あ、今村警視。一つだけ。…今後は、わざわざおいでいただかなくても、お電話頂ければうちの課のものがその程度の書類など持参致しますよ。――――どうぞご遠慮なさらずに。」

二度と来るな、というかわりに、にこやかに、あくまで礼儀正しく、中野は云った。締まる寸前、官僚がすごい渋面を作ったのに快感を覚えつつ見納めて、さらに彼は口の中で何かもごもごと罵倒のことばを呟いたが、もちろん声に出すことはなかった。

(ふん――――思ったよりお元気そうですね、か)

それは中野も事件以後、初めて登庁した警視正に抱いた感想だった。復帰おめでとうございます、という職員の挨拶に、青白い目蓋を伏せて頷いていた彼。確かにその時は、自分とて同じ感想を抱いたのではなかったか。

中野が室井が変わったと確信したのは、まずは喫煙する姿を見てからだ。昼休みの屋上で、給水塔の階段に座り、ひとり煙草をふかしていた。中野はその痩せた後ろ姿に声をかけることも出来なかった。何か侵しがたい深い疲労が、彼の丸まった背中から影になってコンクリに染みついていた。一分ほどその背中をつくづくと眺めてから、中野は黙って階段を降りた。

次は仕事ぶりだった。はかどらなかったわけではない。それどころか、はかどりすぎるほど捗っていた。以前の警視正なら「何かひっかかる」ので再調査を命じるような事柄を、ことごとくスルーしはじめたからだ。明らかに、彼は仕事に根元的な興味を失っていた。

だが一方で、彼がいつまでもいつまでも手元で眺めていた書類があった。刑事犯罪の被害者援助金に関する予算の稟議書である。そんなものは、以前なら彼は一目見るなり処分した書類だった。

「…再度の折衝を提案いたしますか?」

人件費と捜査費目が大半を占める警察庁の運営予算の中では、被疑者への援助金は微々たる金額である。大蔵省にかけあわずとも、警察庁内での運営でどうにかなりそうなほどの、それは本当に小さな割り当てだった。

室井はいつのまにか傍で自分を窺っていたらしい中野を見上げた。エアコンが効いているとはいえ、夏の日差しにすら青白く光る肌には、まるきり人形のように汗一つなかった。

「…いや。カネの問題ではない」

低く吐き出されたそのことばによって、はじめて中野はこの上司の疵に触れたのだった。

カネの問題ではない。奪われた命は、傷つけられた尊厳は、カネによって埋められるものではない。

もしこれが家屋や、土地や、はたまた車のような「商品」だったとしたら、それは「市場価値」によって値段が付けられ、カネと交換され、誰かに所有され、または転売されるであろう。

しかし「命」や「尊厳」や「人権」というものは、個人一身上の分離不能な「権利」であって、交換も代替も不可能である。車が壊されたら補償されるであろう。家が流されたら新しく建築すればよい。だが、人間のいのちが流され、人権が壊された場合、カネは無力である。せいぜい、足を失った人間に、プラスチックの義足を買い与えるくらいが関の山だ。そしてそれはもちろん、足を失った人間が、「本当に」欲しいものではない。

「カネじゃないんだ」

ゆっくり押された判の朱は、言葉を失くした中野の目に焼き付いて消えなかった。

   *

心の縁いっぱいまで、ギリギリに溢れそうな何かが張力している。

室井はそれが「感情」なのか判らない。記憶かもしれないし、もしかしたら何もないのかもしれない。自分は何かを感じているだろうか?…判らない。

だが、感じ「たい」とも思わなかった――――感じ「たくない」と思っているわけでもないが。積極的に生き「たい」とも思わないが、かといって自ら死期を早め「たい」わけでもない。自分はそのうち枯れるように死ねればいいと思う。だから、自分が自殺するんじゃないかと心配している周囲の人は、適切でない心配をしている。なんといっても、自殺するためには、死に「たい」という欲望が必要だ。

仕事に行くのは仕事があるからで、何事かを喋るのは喋る必要があるからで、仕事を「したい」からでも喋り「たい」からでもなかった。食べるのも寝るのも生きるのも、万事がその調子だった。恐らく彼は仕事がなければ、彼自身がぼんやりと空想した通り、立ち枯れるように死んでいたに違いない。であるから彼を生かしていたのは、実に「必要」という偉大な二文字であった。

休日の彼は、目が覚めて起きあがって食事をして、差し出された新聞を読み、他人の話になんらかの相づちを打ち、そうこうしているうちにいつしか夕方になって、風呂に入れと云われればそれに従い、夕食を食べろと云われればそれを食べ、食器を洗っているうちにもう寝る時間になって、そうしたらなんだかもう一日が終わったと感じてナイトキャップに青い薬を飲んでベッドに潜り込む。これが彼の「休日」だった。そしてこの24時間の呼吸のなかで、彼は一度も、「〜したい」と思うことはなかったのである。

――――やれまた一日が終わった。

居間に通じるドアを閉め、彼は内心で「絶対安全圏」と呼んでいるベッドに潜り込むと、ぱたんと瞳を閉じた。待っていたかのようにどっと疲労感が押し寄せる。まるで敷布に身体がめり込んでいって、ついに自分が布みたいに平べったくなってしまうんじゃないか、というような、それはなんとも砂の混じったような疲労感覚なのだ。何をするわけでもないのに、なぜこんなに疲れるんだろう?

彼は再び目をうっすらと開いた。

闇に慣れた目に、薄白く部屋が浮かび上がる。ドアから差し込む光の筋に、かすかな安堵を覚えた。青島がまだ新聞をめくっているのだろう、紙のこすれる音がする。それで、自分の世話に一日中立ち働いて、青島には新聞をゆっくり読む暇もなかったのだ、と彼は気がつく。

ゆらゆらと、感謝と申し訳なさの気持ちが湧いてきた。だがそれもなんだかやはり、ぼんやりしている。どんな感情も、半分ガラス窓を隔てた向こう側にある感覚なのだ。おかしい、自分は本当に彼には感謝するべきだし、申し訳なく思うべきなのだが。彼は自分を恥ずかしく思う。そして自らの感情鈍磨に、ほとほと虚脱感に襲われる。

けれど、実は、この虚脱感というか、疲労感だけは、彼にぴったりとよりそっている「実感」なのだった。

               

   * 

記憶の作用について、室井は彼なりに分析するようになっていた。

記憶には、フォトグラフィックな記憶というものと、感情記憶とでも呼ぶべきものがあるように思う。例えば法律の条文やニュース、昨日の夜は何を食べたか、などはフォトグラフィックな記憶にあたる。彼の記憶力はこの点に些かも影を見つけることは出来ない。

しかし感情記憶となると別である。彼は自分を「理性的人間」だと評価してきたが、今度ばかりは自分の感情の強さに彼は驚いた。

たとえば、ニュースである。天気予報はかまわない。政治問題もオーケーだ。だが、暴行や殺人のニュースはダメだった。パニックに陥るほどに感情が激発し、犯人を罵り、部屋中を歩き回る。被害者にシンクロしているのだ。

室井には被害者の恐怖がわかる。苦痛がわかる。社会全体に対する怒りと、絶望の呻きが聞こえる。そして犯人が犯行を否認している、というアナウンサーのコメントほど彼を怒らせるものはない。

そのとき彼の記憶能力は著しく減退する。何を喋ったのか、何をしたのか、殆ど思い出すことが出来ない。おそらく、日常生活を送るために人間の心理は感情の激発自体を忘れるような防衛機制が働くのではないだろうか。

正常に戻ると、彼は「自分がひどく怒りや絶望を感じた」ということは覚えているのだが、「如何なる怒りや絶望だったか」をリプレイすることはできなくなっている。というか、リプレイするということはまた同じように感情の激発を迎えてしまうのだ。そのためか、そのときの記憶は全体がもやのかかったようになる。正直に言えば、あまり思い出したくないという希望だけがもやもやと腹の底によどんでいる。

たとえばこんなことがあった。

    *

料理の支度をしている青島の耳に、突然、「ばかやろう!」という罵声と、何かを投げつける音が飛び込んできた。

「ふざけるな!」

「室井さん?!」

キッチンから飛び出してきた青島に目もくれず、室井はぎらぎらと目を血走らせ、歯を剥きだして拳でソファの肘掛けをガンガン殴っていた。

それから青島に気づき、顔面を真っ赤にして彼は、テレビを弾劾するようにするどく指さした。その手が怒りのあまりに震えていた。

「こいつらは、くそ野郎だっ」

室井とも思えない言葉に――――尤も、こういうときの室井はいわゆる「室井」ではないのだ、と青島には判っていたが――――青島はテレビに視線をはしらせた。

有名な討論番組の司会者が、自信たっぷり「極東の平和と日米関係の維持のために米軍基地は必要である。基地周辺でたまに起こるこの種の事件(米兵による婦女子暴行事件)を根絶することは、古今東西の歴史を見ても出来なかった、だから再発を防ぐ努力も重要ではあるが、それと同時に、被害者の痛みをケアする方策を講じる方が、より現実的である」と述べていた。

青島は、ぐいと唇を歪めた。

きっと、その司会者はそうすることが誰にとっても最善で、「まれにそういう不幸な目に遭う人がいるのは避けがたいから、そのときには」政府の手できちんとした治療を提供すればいい、さすれば被害者はきっちり「ケア」されると信じているのであろう。 自分が強姦されたのを「仕方のない避けがたい事件」と割り切っている政府の「ケア」を、ありがたく受け入れる被害者が果たしてどれほどいるのか、そういう疑問は浮かばないらしい。

室井はこういう話を見聞するだけで精神の安定を失う。だから青島は彼の周囲から事件に接続するものを注意深く排除した。これは室井の母である明子にも判らない細部にまで及んでいた。だが今、彼は自分が目を離した隙に、室井がよくないものに遭遇してしまったのだと判った。

室井には、暴行や強姦や脅迫事件が、他人の出来事であると感じることが出来ない。

健康で心優しい人間が、「思いやり」や「想像力」で被害者や被抑圧者の苦痛を理解しようと努力するのとは根本的に違って、室井にはそんな操作も努力も必要ない。そもそも彼は元来思いやりがあって想像力が豊かな人間ではなかった。そうでなくて、彼はそれをただ「知っている」のだ。

感情の暴走と同時にフラッシュバックが始まる。彼の目に涙が浮かび上がる。怒りと恐怖と嫌悪が腐った肉汁のように彼の臓腑にあふれ、唇から汚い言葉となってぼろぼろとこぼれ落ちていく。

「こいつら全員くそ野郎だ。ちくしょうどもめ、こんなことを云う連中はみんな、あれを戦車で轢いて潰してやればいいんだ。そうすれば少しは彼女の気持ちがわかるにきまってる。この畜生どもめ、何がケアだ、何が和平だ…」

青島は足元のプラスチック片を拾った。投げつけられた拍子にリモコンのカバーが割れ、5,6片になって飛び散っていた。電池はソファの下まで転がって行っていた。

青島は手で主電源を切った。部屋に静寂が訪れる。けれど室井の耳はそれを聞かない。彼は遠い怒号と悲鳴とすすり泣きと、いやしい、人間をあざ笑う声を聞いている。

「この世は地獄だ」

吐き出す室井の瞳は暗い。彼の目に青島は写らない。 青島は黙ってキッチンに戻る。すべては振り出しに戻る。用意された夕食は今夜もそのまま冷えていく。彼は頭を垂れ、シンクの縁に手をかけて、垂れ流される室井の罵声を聞く。室井はこの青島の背中を知らない。彼は罵り続ける。

「…汚らわしい、いやしい、人間どもめ…貴様らなどみな地獄におちるがいい、もしこの世にこれ以上の地獄があるのなら…」

        

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20011106

   

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