second rape2


            

寒々しい息子の部屋の玄関にたち、ポストに溢れていた新聞をまとめて床に投げ出すと、彼女はまず窓という窓を開け放った。とたんに都会の雑音が、殺風景な部屋に飛び込んでくる。

明子はどこか鉄の臭いのする空気を吸ってから、シンクが乾ききった台所に立った。

そして引き出しひとつひとつから、刃物を引き抜いては細長い空きカンに入れていく。

『彼の目にとどく範囲から刃物を全て片づけちゃってください』

安藤は、淡々と、しかし真剣に、息子の自殺未遂に震え上がった母親にそう指示した。

『手に入らなければ、買ってきてまでやろうとはしないですから。普通』

  *

そんな手間をかけなくても、やろうと思えば、屋上から、プラットフォームから、どこか彼の望む世界へむかって跳躍すれば話はすむのだ。

だが、自殺志願者は、最後まで迷うものだ。 死ぬか、生きるか、それをゲームのような「偶然」で決めることが多い。白い服の人間が次に通ったら、そのときは飛び降りる。5月までこの桜がのこっていたら、あと一年は生きてみよう。そんな風に。

それを「偶然」に人生を弄ばせる行為だと、人は非難すべきかも知れない。

しかし安藤とて、目的地とは反対方向にむかう電車に飛び乗りたくなったことがこれまでに3度ある。理由はいずれも、「早くそっちの電車が来たから」だった。

――――そんなものではないだろうか? 日常から脱出したいと、そんな衝動を人々に引き起こすものは、何か驚くような事件でも、はっきりと「起こった」出来事でもなく、ただ、ほんの小さな、ちかりと一瞬だけどこかから送られてくる「合図」を受信してしまったかどうか、そんなことに過ぎないのではないか。

安藤の日常使用するJR線は自殺が多い。日本でいちばん、陰気な路線だ。

「人身事故のため…」というアナウンスに、安藤は精神科医として、「今週は何人目…」と首を振る。

しかし一方で、そのことに慣れきった待ちぼうけのプラットホームで、押し合いへし合いのむし暑い車内で、舌打ちと、遅れをくさる声がささめくように起きるのだ。

――――『ちぇ、迷惑な死に方しやがって』

そう呟いた若いサラリーマンを、燃えるような瞳で睨みつけた女子高生。目を伏せ溜息を吐いた白髪あたまの中高年。きゅっと眉をひそめた尼僧服の老婦人…。

目を転じれば箱の外には、びっしりと繋がっているビル壁と、けばけばしい無秩序な看板の群れが、この不景気だが猥雑な首都をあいも変わらずに飾っている。その隙間に覗く、スモッグで黄ばんだ空も、なにも昨日と変わりはしない。

誰かが―――さっきまで、私たちの世界の住人だった誰かが――――この私の乗る線路の延長線上で轢死体となった今も、やはり、何も、変わりはしないのだ。

 * 

  

『触発するものを視界に入れなければいいんです。』

安藤の言葉を反芻しながら、明子は自分が10年前に息子にもたせた古い生け花用の鉄ばさみをしばらく見つめ、それからそれも、ごとりと空き缶にしまった。こんな小さな刃でも、首に突き刺せば死ねるだろう。それから彼女はピーラーを取り出し、これはどうしても大丈夫だろうと判断して、引き出しに戻した。

息子が死ねるかどうかを基準に刃物を選別するのは、生まれて初めてだった。

――――帰ってくるまでには片づけておかないと。

マスコミを避けてホテル生活を送っていた慎次が、明日帰ってくる。 大物俳優の離婚騒動のおかげで、マスコミは呆れるほどあっさりと去っていった。

のこったのは、人間と社会への不信に凝り固まった、被害者の家族だけだった。

  

***

正午を過ぎ、昼食を求めて移動する人々のざわめきは、普段のぴりぴりした警察署内に人間的な活気を取り戻させた。

――――ったく、あの警視正、ここは警察署の中なのになにが怖いんですかねえ?犯人は拘留されてるんだから何もできやしないじゃないですか。

――――ここが…おかしくなっちまったのさ。一種のヒステリーだろ。

――――にしてもたった三日監禁されてたくらいであんなんなるようじゃ、繊細すぎるってもんですな。

――――あれでも管理官やってたころは切れ者で通ってたらしいけどな。ま、復帰しても、あんなんじゃ厳しいな。

――――キャリアなんだから、さだめしどっかが拾ってくれるんでしょうよ。

――――俺達だったら即、お払い箱なのにな。まったく、頭がおかしくてもキャリアはキャリア…。

――――あーあ、ゆっくり病気で居られていい身分だ。羨ましいよ、ほんとに…

「よせ」

ドア越しに聞こえる会話に、憤怒のあまり目を光らせて立ち上がった青島を、一倉は制した。

「あいつら、ぶっ飛ばしてやる」

しかし出ていこうとした青島の足を止めさせたのは一倉ではなく、ソファにぐったりと沈んだ室井だった。

「よせ…彼らは、正しいのだから」

泣きながら胃液を吐いたせいで喉を灼かれ、しゃがれた声はほとんど聞こえないほど小さかった。けれどそれがもっと小さかろうとも、この時の青島と一倉が、室井の言葉を聞き漏らすことは有り得なかった。

かつて室井のもっていた、どこかに柔らかさを包んだような音声は、あの事件以来、ついに失われて久しかった。青島にはもう、室井のあの声を思い出すことは出来ない。だから彼らが耳を疑ったのは、その声ではなく、発言のほうだった。

「正しいって、何がすか」

何を云うんだと気色ばむ青島とぴくりと眉を動かした一倉に対して――――室井は、旧友の眉の動きを見るだけで、彼が『かなり怒っている』ことを読みとることも出来た――――室井は痩せこけ、疲れた頬にかすかな微笑をすら浮かべ、穏やかに、かみしめるように、目を伏せながら繰り返した。

「彼らは、正しいのだから。だから、彼らを殴ってはいけない。――――じっさい、わたしは異常だし、病んでいるし、それに、彼らの云うとおり、おかげでゆっくり休暇も取れているのだから。もっとも“キャリアだからどっかが拾ってくれる”とは思わないけれど…」

「弱気なことを。今からそんなんでどうする」

一倉の唸るような励ましにも、彼はやはり唇だけ笑いの形に歪ませた。

その手応えのない受容性に、一倉はいっそう苛立たしさをかきたてられ、しっかりしろと室井の骨張った肩に手を伸ばした。だが、室井は、疲れ切って動くのも大儀そうだった室井は、さっと身をかわしてその手から逃れた。

「…るな」

はっきりと見開かれた室井の青みがかった瞳の中に、深い「嫌悪」を読みとって、一倉は頬を張られたように顔を強ばらせた。

「――――いや、触らないでくれないか。…すまない」

友人の表情に自分の失敗を悟った室井は、素早く影を瞳の裏に隠して、自らの過剰な反応を謝罪した。しかし彼の眉間には押さえがたい皺がぎゅっと刻まれ、すくんだ肩は強ばり、腕は自分を外の世界から守るように身体にまわされた。

一倉はそれが無意識の動作だとわかった。無意識に、自分を、いや人間一般を、疎み、嫌悪し、もしかしたら憎んでいる。

「おまえ――――」

空中に浮いた手の置き所のなさと起きた出来事の意外性に、一倉は半ば口をあけ、次なる言葉を探そうとした。

けれどふと、旧友の手すらを謝絶した男の、まるで潮風に幾十年もさらされて年経た木の肌のように苦悩を刻んだ横顔を、知らずまじまじと観察した一倉は、ふいに、室井の耳の上あたりから生える髪に、数本の白いものが混じっているのを発見してぎょっとした。

白髪など、一本もなかった彼だった。濡れたように艶のある黒髪を撫で付けていた友人が、事件以後一ヶ月を経過し「日常生活に不便を感じなくなった」はずの今も、長めになった髪を手入れもせず放置している。几帳面な友人の「意外」なずぼらさの理由は、それはなにも病気療養中だからでは無くて、他人に触れられることの耐え難さのために、床屋に行けないからでないのか。

そう思い当たった「推測」に、彼は呆然とした。「意外」どころか――――。

「…俺は味方だ。そうだろう?」

その声にも、室井は侘びるようにわらった。

しかしそれはやはり、黒いガラス体の向こうの暗黒を消し去りはしなかったし、それにその言葉は彼の言葉を信じたからではなくて、一倉のそう言ってくれる「配慮」に対して「ありがとう」と云ったまでだった。

言葉の無効さ加減に、一倉はぶつけようのない苛立ちを押しかくして身を離し、自分以上に長くこの室井の傍にいた青島を見た。

青島はこの間ずっと無表情に、一連のやりとりを見守っていたのである。

(今更、なにを驚いてるんだ?)

一倉の鈍感さを非難するように黙って見つめ返す青島の視線には、冷たい刃が含まれている。

――――いや、だがしかし、それは青島にとっても諸刃の刃であったのだ。

というのも、結局のところ、室井に触れられず、かける言葉はことごとく届かず、虚しく長い両腕を肩からぶら下げているという点においては、青島も一倉となんら変わりはなかったからである。

いや、過ごした時間が長かったぶん、より青島の方が自分の無力感を骨髄まで味わっていたといえるだろう。だから一倉へ向けたれた冷淡な非難は、そのまま自分に対する数十倍も鋭い非難のつららとなって、彼の心臓に戻ってくるものだったのだ。

一方で、(おまえにもやっと判ったのか?)という青島の軽蔑と同時に、(これでおまえもおれも同じ病を持った者同士だ)というある種の同情を含んだ視線に、一倉はひどく自尊心を傷つけられた。

彼は不機嫌に腕組みをすると、下唇を突きだして視線を窓に向けた。

――――冗談じゃない、こんな青島ごときと俺が、「同じくらい無力」だなぞとは?

      

同じように視線を逸らしながら、青島のほうも苦い記憶を殺し損ねて、噛み締めた奥歯をきしらせた。

…酷い夢だった。

夢のなかで、青島は彼を犯した。

泣いている、彼を犯した。

       

青島は、そんな夢を見た自分を、心から、憎んだ。         

   

三人はそれぞれの闇を抱えて押し黙った。それぞれが孤独な戦争を闘っていた。

 

***

  

 

…あのころは、必死で精神の安定を取り戻そうとがむしゃらに努力していました。

休暇は、あと2週間しかなくて…。現場ではないとはいえ、警備課課長のポストを空席にしておくには二ヶ月が限度でした。

それまでに、「職務に耐えられる程度」には回復していなければならない。何事もなかった平常の人間の顔をして、帰っていかねばならない。少なくとも、多少の衝撃なら通さない鎧を装着できる程度には、強くなって置かねばならない。たとえその鎧すら、当時は重く感じたとしても。…そんな風でした。

たしかに、あの警官達の言葉は、胸に突き刺さりました。物理的な痛みを心臓に感じたほどです。

けれど、私は怒りや哀しみを感じたと同時に、それを受容しようと思いました…いや、あきらめ、と言う方が近いかな…。

とにかく、あのような、…私はああいう発言は、ある種の評論家的というか傍観者的な言葉、と思うのですが…は、自分が帰って行かねばならない場所では――――いやもしかするとこの日本という社会の中に――――あまりにもはびこっているものなのだろうと思ったのです。

きっと、被害者の味わっている苦痛を知らぬばかりか、想像しようともしない、いやそもそも想像することもできない、そういう犯罪者に接した期間が長かったので、そう思うのかも知れません。

とにかく、世の中には信じられないくらい鈍感な人間がいるものです。

たとえば、先生はこういう統計をご存じでしょうか、服役中の囚人に、「おまえのしたことを反省しているか」という質問をしたところ、わずか20%弱のものしか「イエス」と答えなかったことを? あとの者は、「捕まった自分は運が悪かった」と思っているのです。犯罪者というのはそういうものなのです。むろん、その20%弱を希望と共に見るか、それとも諦観と共に見るかは人それぞれなのでしょうが。

それはともかく、私は、ある日、自分はそういう社会の中で生きて行かねばならないらしいということを覚悟しました。

情けないことですが、私にとって、「復帰」とは、喜ばしいことでもめでたいことでもありませんでした。暫くは毎日のように「おめでとう」と言われましたが…一体どう返事すべきか判らなくて。今も、判らないのですが。

とにかく私には、「復帰」というのは、際限もなく、終わることもない苦痛の海の中で、(恥ずかしいのですが)もうおぼれてしまいたい、もう自分を見失ってしまいたいという、ほとんど甘美といってもいい誘惑に抗いながら、にもかかわらず泳ぎ続ける、ということを意味していたのです。

しかし、当時の私はもちろん荒れ狂う海を前にして、さあ飛び込みなさいと云われて呆然とつっ立つしかできない、痩せこびた少年のようなものでした。

期限は二週間。それまでに私は一体何を準備できるだろう…?

私は焦っていました。

なんとか普通の人間になりたい。

私は忘れようと努力しました。

忘れたくて、忘れたくて、忘れたくて……でも、出来なかった。

あの卑らしい記憶は、入れ替わり立ち替わり夜も昼も私の周りに現れました。

はっきりいえば、私はもう、うんざりでした。

いっそこんな大脳など吹き飛ばしてしまいたかった。

罪や、罰や、配慮や、苦痛や哀しみや…両親にも友人達同僚達にも迷惑をかけている、けれど普通になれないことへの申し訳なさ、自分は惨めで弱い人間だという自覚、それら全てに地盤を提供した、私をこんな羽目に追い込んだ奴らへの憎しみ…そんなことも何も、考えたくはなかったのです。

けれど考えるのを止めることができなかったんです。

だから私は自分の脳味噌を吹き飛ばしてしまいたかった、何も考えなくて、感じなくてすむように。

けれどそんなことは、自殺を思いとどまった私にはできないことでした。辛いのは両親も同じだったのだから、それにもかかわらず必死で私を支えてくれている両親の愛に対して、私が自殺という形で彼らに報いるのは、酷い裏切りであり、エゴ以外の何物でもないと思ったからです…というより、そういうモラルを自分の中に植え付けることで、私は自殺願望を押さえ込んでいました。それに先生の指示のせいで、母は私の家から刃物という刃物を処分しましたし。

…それで、忘れることは出来ない、けれど真黒な蛇のように体内にのたうっている、このことを、この苦しさを、帳消しにしてくれる「救い」を、私は求めました。

幸か不幸か、母の実家は禅寺なので、そういうネタには困らなかった。仏性・慈悲・無我・解脱…すべて身近な言葉でした。そして、なんと魅力的な言葉だったでしょう。

とはいえ私は同時に、ニーチェの「宗教は弱者のルサンチマンである」という言葉も、マルクスの「宗教はアヘンである」という言葉も知っていたのですが。…しかし正直にいいますと、私はそれが「弱者のルサンチマン」であろうとアヘンであろうと、救ってくれるならなんでもよかったのです。それに、私は実際に弱いし、眠るために睡眠薬を常用しているのですからね。

…なんだか話がそれました。

ともかく、とりあえず私は、全ての宗教が奨めている、例の「赦し」を行おうと思いました。

いや、赦さなければならないと思っていました。

別に偉そうに慈母観音やキリストをめざそうと思ったわけではありません。私は人類の苦が救えるなんて思わないし、そもそも神なんて信じていませんし、他人の苦しみまで担いたいとは思わないし、…とにかく私は、本物の宗教家達は軽蔑しているところの、いわゆる「御利益」を求めたのです。

まったく不純な動機です。「何もかもを赦す」なんて、一見非の打ち所のないモラルであるくせに、私が生きやすくなるための手段として、私はそれを選択したのですから…。

でも、まあ、そんなことはどうでもいいことですね。

ともかく私は、まずは、「他人の感じる痛みなど、他人には本当には判らないものだ」と、正直さの裏側に冷酷さを隠してそう言う人たちを、「赦そう」と思いました。

意外かも知れませんが、私は誰かがそう言うたびに、申し訳ないのですが、ほとんど胃が灼かれるような憎しみを感じたのです。

確かに、他人の痛みなど「本当には」判らないものかもしれない。けれど、初めからそう口にするということは、「判ろうとする努力」もせずに、人の痛みを切り捨てる行為に、私には感じられたのです。

簡単に云えば、私はそう言われるたびに、自分が人間社会から切り捨てられる気がしました。 たぶん、もし本当にこういう人ばかりであったなら、私は今こうして、ここに座って、先生とお話してはいなかったでしょう。

――――けれど現実は先生、存外ゆたかなものです。

「本当には判らなくてすみません」と泣いて謝る青島のような友人がいつも隣にいましたことは、私を確かに回復させる大きなパワーになったのです。本人は、私がそう言っても、「俺は無力なばかりで何の役にも立ってません」とよけい悲しそうに言うので、どうにも私の気持ちが通じなくて困るんですが…。

  

さて次に私は、逆に「判ったような口を利く」人々の自惚れを「赦そう」と思いました。

たとえば、新聞の論調みたいに、「ああそうなんですか、お気の毒に! でもそういえば私も西ティモールで、50日間にわたってレイプされつづけたっていう人の話を聞きましたよ。本当に、戦争というのはひどいものです。まったく驚き呆れました。」とか、「苦しいのはあなただけではありません。世界中にはもっともっとお気の毒な立場にいる人々が、今もこの瞬間にいるのです。その人達のことを思えば…」とか、そういう言い方です。

――――ご尤も、ご尤もです。

けれど、…もちろん、私はその西ティモールの人の名前は知りません。けれど、私には50日間にもわたって、おぞましい兵士達に毎日毎日強姦され続けた女性の恐怖を、苦痛を、――――いや、それは「恐怖」や「苦痛」や「憤り」ということばでくくることも、私には出来そうもありません。

全くそれは、苦界…、ああ、先生はこの言葉をご存じでしょうか。昔、女郎屋で春を売らされた貧しい女達が、自らの悲惨な人生をさして「この世は苦界」と云った、あの言葉です。

先生、50日間にも渡ってレイプされるなんて、そんなのは紛れもなく苦界です。いえ、それが三日であっても苦界なのですから、苦界以上の苦界、地獄以上の地獄です…朝も夜も誰かが自分の上にのしかかり、中をほじくりまわし、汚し、殴り、半殺しにして、卑猥な侮辱と罵声とあざけりと、ともかくもしこの世に「うつくしいもの」が尚存在すると言えるのなら、それらうつくしいものへ糞便をなすりつけて嗤っている人間というか、いやこれは人間ではない、しかし豚といったら豚にはそんな残酷さはないから豚に対して失礼かも知れない。だって一撃でえものをかみ殺す虎の方が、彼女には数万倍も親切で慈悲深いといえるんですから。

ともかく、彼女には世界から与えられるものはそれしかない状態で50日も生きたんです。そしてあまつさえ、解放された彼女をむかえた村人はこう呼んだのです。――――「売女(ばいた)!」

先生、いったいこれが苦界でなくて何でしょう?

…なんだか話が脱線してしまいました。

ともかく、私はその人が私以上に酷い目にあったことを、100%認めますし、そしてまた彼女以上に酷い目にあった人も、この世界にはあと何万人も何百万人も何千万人もいるにちがいない、ということも認めます。

けれど、私は、そのことを軽々と――――自分はかつて一度もそんな目にあったことのない人間が、被害者に対してそんな説教じみたことを口にすることに、ほとんど目が眩むような憎しみを感じるのです。

私は狭量故に、そういうえせ説教師のような連中を、わらって赦してやることがどうしてもできなかったのです。

そしてしかも、世の中にはこんな「モラリスト」がじつに多いのです。彼らはそんな「悲惨物語」をよく知っていて、好んでそういう書物を読んだり映画を見たりするのですから。

そして自分たちが心の奥底に実は隠している「他人の悲惨」への好奇心が、その傍観者的態度が、「他人の悲惨」を消費することで己の幸福を確認する手段にしているという、被害者から二重に盗み取るような姿勢について、全く厚顔にも無知・無感覚なのです…。

        

…しかし、私は、彼らを「赦す」べきだとおもいました。

彼らと私は今深い溝のある大地のこっちとあっちに立っていて、こちら側には叫ぶこともできず、ただ苦しげな吐息をつくばかりの何万の被害者がいます。

しかしあちら側には我々の悲惨なぼろ姿を見て、「おやまあ気の毒に!」とか「なんて悲惨な人がいるもんだろうね!」とか「君はまだマシなほうだね!」とか「私でなくてやれよかった!」とか、動物園の柵越しに猿山を観察するみたに声をかけてくる人々が居ます。

けれども時には私の両親のように、共にこの孤独な、病み、荒んだ人々の中に黙って分け入っていって座り込んだり、又は青島のように、こちらへ渡ろうと…もしくは、私をあっち側へ連れ戻そうとして、この深い断絶の間に橋を架けようと努力している者もいるんです。

もちろん一方では面白半分か、パンや石つぶてを投げつけてくる奴等も多いのですが。

それに――――それに、先生、私は恥ずかしいことに、じっさい、自分が被害者になるまで、あっちがわの人間だったのです。

毎日毎日、いろんな死体を次から次へ見ていると、しまいには大抵のことには心が反応しなくなります。手術のあと平気でスパゲッティを食べられる医者のようなものです。

それは悪いことではなくて、当たり前のことなんですけれど、被害者の痛みを犯人への憎しみに転換して捜査しているうちに、ふと、被害者の痛みを置き忘れてしまうことがある。

だから私も、元はと言えば彼らと同じく同罪なのです。つまりは私は極めて普通の平凡な人間で、どこといって特徴のない、あえていえばこの身に負った傷だけが特徴と言えば特徴になる、そんなつまらない人間なのです。

だから私は、彼らを私と同じく、弱く、愚かな人間として赦そうと思いました。そして彼らを赦すと同時に、自分の弱さ狭量さも赦そう…そうしたら生きていけるんじゃないか…そう思ったのです…。

  

***

   

一気に話し終えて、患者はぼんやりとしたとらえどころのない顔つきになった。なんだか自分の感じたことをうまく言葉にだそうとはしたのだが、それが結局何処にも出口無しであって、けれどこれ以外に云いようもなかった、というところからくる虚脱のようだった。

安藤は、この患者が数ヶ月に渡って恐ろしく深く考えこんでいたことの内容と、その絶望的苦闘の変遷を、だまって聞き続けていた。

「いっそ頭を吹き飛ばしたかった」と云ったとき、患者はまるで時宜にぴったりの冗談を発せたことに満足するかのように、夢見るようにわらった。

「ほんとうに、この不愉快な頭を取り去ってしまえたら、さぞすっきりすることなんですが!」

それが彼の“希望”だとしたら、なんと悲しい希望であろうか?

しかしそれが確かに、真実、彼の“希望”に相違ないことを、安藤も、また、少し離れたところでセラピーの終わるのを待っている若い刑事も、知っていることだったのである。

   

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20010411

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