夢のあとさき 2




 悪夢を共有していない青島にも、室井が容易に眠りに戻れない気持ちは分かった。

 彼が救出されたあとすらも、自分は彼を見失って、森の中や、海辺や、夜のコンクリートジャングル(実際は関東地方の山中だったのだが)を駆けずり回る夢を見たからだ。

 しかし夢は夢だが、彷徨っているときの気が狂いそうな焦燥感や苛立ちやひしひしと迫ってくる絶望感は実物で、そんな夢を見た朝というのは目が醒めた瞬間からすでに徹夜明けのように疲れている。

「・・眠れそうにない?だったら、なんかあったかいものでも・・・」

 ホットブランデーかなにかを作ってやろうかと腰をあげた途端、

「待ってくれ!」

 室井の自由にうごく左手が、しっかりと青島の手首を掴んでいた。

「あ、いや・・・」

 びっくりしたように掴まれた手首と室井を交互に見た青島に反応して、室井はばつが悪くなったのか、すぐに目を逸らした。だが緩められはしたものの、まだ手首を放そうとはしない。 行かないで呉れ。とその痩せた手は伝えていて、青島は驚いた。握られた掌もじっとりと汗ばんでいて、それでとてもこの人を一人にしておくことは出来ないと思った。

 自分はこの人を守るためにここにいる。物理的な脅威からも、彼が生み出す実体のない恐怖からも。

 これが父性ってやつかもしれないな、と思ったが、子供も甥も姪もいない自分には良く分からなかった。


 手首をそっと外させ、屈辱に耐えるような、だが不安げな室井の貌つきを見ると、思わずそのまま肩を抱き、全然大丈夫なのだと、自分があなたを守るからと、だから全く心配することはないのだと、そう言ってやりたいと熱烈に思った。

 多分、これが女性であれば、青島は躊躇わず行動に移していたに違いない。

 しかし、あやういところで青島は踏みとどまった。

『・・・同情するなとは言いません。そんなことは不可能ですから。でも、甘やかすのは逆効果です。患者が立ち直るには“自尊心”が必要なんですが、“誰かがいなければダメな自分”に、自尊心は育たないですよね?ですから、多少苦しくても、“どうやら一人でもやっていける”という自信を本人が回復するためには、周りの人は少しだけ手を差し伸べるのを待ってあげたほうが良い場合が多いのです。“突き放す”というのとは、全く違うんですが・・・』

 なるほど、と青島は思った。大正解だ。

 安藤のこの入れ知恵がなかったら、自分は室井を際限なく「甘やかし」ていただろう。

 青島は再びベッドに腰を下ろした。しかし彼に指一本触れなかった。

 だが果たしてそれからどうすればいいのかが判らない。甘やかさず、突き放さず。

 人型の石のように固まっている室井を人間に戻すために、一体全体どうすればいいのか?

 両手を拘束するように股の間に挟んで、あー、とも、うー、ともかけるべき言葉に迷って天井のランプを見たりした揚げ句、

「あの・・良ければ夢の話、してくれませんか?」

 切り出した質問はど真ん中だったらしい。

 瞬間、室井の顔に何とも言いようのない暗い影がさっと差したので、青島はたちまち後悔した。

「いいんです、言いたくないなら・・・」

「馬鹿馬鹿しい夢だ」

 両手を振って慌てる青島の言葉を遮るように、目を逸らしたまま室井は吐いた。怒りと恐怖と投げやりさが同居した、乾いた声だった。

「・・・・砂漠にいて、夜だった。」

 見た夢をこれ以上簡潔に表現することは室井でなくては出来ないが、かといって言葉足らず過ぎて、青島には一体「夜の砂漠」のどこがそんなに恐ろしかったのか、全く想像も付かなかった。そこで当然のように彼は、

「それだけですか?」

 とうっかり聞いてから、またまたしまったと思った。室井が憎悪に満ちた目で青島を睨んだからだ。

「・・・・蛇がいた。・・・・喰われるかと思った」

 夜の砂漠にヘビ。

 青島の頭にアナコンダが“シャーッ”と大口をあけて室井を追いかけるシーンが浮かぶ。 なぜかその蛇の頭が新城のお面をかぶっているのが、青島の新城に対する偏見を物語っているのだが・・・。

「・・・なるほど。頭から丸飲みされるのはやですよね。胃の中でゆっくり溶けるって死に方は、いろんな死に方の中でも確かにサイアクですよ」

 しみじみと共感を籠めて答えたつもりなのに、かえってきたのは呆気にとられたように自分を見つめる室井の顔だった。

 青島はまたもや失言したのかと、ほとほと自分がイヤになりかけ、目を逸らそうとしたとき、なんと室井は小さく吹き出すと、喉奥でくつくつ笑い出したのだった。

「・・・なんで笑ってるんすか」

 こっちは一生懸命寄り添おうとしているのに。

「いや・・・今、君が大ヘビに喰われる所を想像したら、たまらなく可笑しくなって・・・」

 怨みがましい青島の顔をみるや、ますます肩を揺らして笑っている。

「・・・なんすかそれ。俺が喰われて可哀想とは思わないんですか」

 反発するが、それは言葉遊びであって、青島の口角はあがっている。

 何が彼のツボに填ったのかは知らないが、彼が笑ってくれるなら、青島は三回まわってワンでもニャーでも言うのは神掛けて確かだった。(もっとも室井がそれを要望するかどうかは、また別の興味深い問題だ。)

「君の真剣さを疑う訳じゃないが、君の想像力ってのは本当に漫画チックだな」笑いを唇の端に残して室井が言う。

「室井さんの口数が少なすぎるから、それを想像力で補うしかないんです。努力の成果ですよ」

 それじゃ俺のせいか、とぶ然とする顔に、少し力が戻っている。

 青島はそろそろ大丈夫かなと見切りを付けた。

「喉乾いてませんか?俺、ちょうど一杯貰おうかと思ってたんですけど、室井さんも呑みませんか」

 室井は迷ったようだった。だが断るのも悪いと思ったのか、じゃあ・・と受け入れた。

「んじゃ、ホットブランデーにしますから、室井さんも起きて起きて」

 さっそくベッドの足元に畳んであった半纏を放り投げるように渡し、かけ布団を強引を承知で引き剥ぐ。

「寒い!」

 たちまち室井が抗議の声を上げたが、構わず足元までめくってしまう。

 縮こまっている室井の両脚を――乱れた裾から覗く素足がやけに骨張っていて、青島はぎょっとした――を見ないようにしながらベッドの外に乱暴に投げ出す。

「なにする!」

 強引にベッドから追い出された室井の怒声もそっちのけで、青島はシーツのしわを伸ばすような振りでバンバン、と染み一つないベッドを叩ていった。

 それから、一体全体何してるんだ?とばかりの室井を振り返って、言った。

「大丈夫、蛇なんていないっすよ。それに砂粒一つ落ちてません」

 にっかり笑った青島を、室井は顔面を朱に染めて睨んだ。

 

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2000810 /20001016 rewrite

少し明るくしたつもり。青島君に頼っちゃうけどね。

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