夢のあとさき


 やけに白い砂漠がどこまでも続いていた。まるで蛍光灯の白に近い砂の集積。

 室井は眩しさに視線を上げた。そらは墨で塗りつぶしたような暗黒が、星一つなくのっぺりと広がっている。

 視線を下げると、地平線は定規で引いたような線が真っ直ぐに横たわり、驚くべきシャープさで黒い宇宙と白い地上とを分割していた。

 暑くも寒くもなかった。

 ただ、一人だった。


 彼は足をひきずりながらどこかへ向かって歩いていた。いや、今なんで自分はここにいるのだろうとぼんやり考えて、それから自分が歩いている事に気が付いた、というのが本当だった。

 夢の中では時間や思考のプロセスが逆になることはよくある。

 過去が現在を作るのではなくて、現在が過去を創造するからだ。

 それから彼は、なぜ、どこへ向かって自分は歩いてるのか?ということを一生懸命思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。

 ただとても焦っていて、そして裸足だった。なぜ砂漠なのに足が暑くないのか、と疑問が浮かんだ瞬間に、焼け付くような熱さを感じて立ち止まった。真夏の日差しに灼きあげられた砂浜の感触が足裏を焦がす。しかし我慢して立っていればそのうち熱が引いてくることを経験で室井は知っていた。

 それからなぜ汗をかかないのかという異常性に気が付き、空を見上げて確認すれば暗黒の宇宙が覆い被さっている。そこで夜だからだと納得し、すると同時に足裏の熱は、宇宙に冷やされたさらさらした砂の感触に代わっている。

 夢の中なので室井はそのことを不思議にも思わず納得していた。


「なぜ立ち止まっているんだ?」

 室井は眉をしかめて肩に置かれた手を振り落とした。

「私はたちどまってなどいません。ずっと歩いてきました」

 憤然と振り返ると、馴れ馴れしく触れてきた男が、ほほう、と、馬鹿にするような黒い微笑を作った。そうすると夜の闇が濃くなった。

 室井は突然、猛烈な怒りがこみあげてきた。

 だが睨み付けようにも男は(・・・室井はなぜだか「男」だと確信していた・・・)奇妙な光を放っていて、貌も身体も全体がぼんやりとぼやけて、輪郭がはっきりしない。

 何かアラブの伝統装束のように丈の長い服を着て、爪先だけが裾からはみ出しているが、履いているサンダルは黄金のバンドで出来ているように見え、日差しを遮るための頭に巻く布は真珠色に輝き、大きなダイヤのような宝石が額の上を飾っていた。背がずば抜けて高く、威厳に満ちた態度は王侯貴族を思わせる。堂々たる体格は胸囲だけでも室井の二倍はありそうだった。

 彼は長い美しい光沢を持つ紫色の袖を羽のように広げて、アスコット競馬場の紳士たちがするような、どうも、ごきげんよう、というような慇懃な会釈をした。

 それから男は、彫像のように美しい形をした唇で、秘密めかして囁いた。

「いいかい、君はもう歩かなくてもいいのだ。・・・ただ私を信じるといえば、君が望むどんな場所にでも、いますぐ連れていって上げる。御礼なんていらないよ! 君はいずれ、翼も、理想を実現する力も、この世界も、すべてを手に入れることが出来る人間なのだから。ただ私を「信じる」と言えば良いだけさ・・」

 意外な誘惑に室井は男を見上げた。

 上等なびろうどのように魅力的な男は、ミケランジェロが彫った大理石のような指を、室井の顎にそっとあてた。

「きみはがむしゃらに歩いているけれど・・・・、その実は同じ場所を汗水垂らして這い回っているだけなのさ。なあ、どうだい君、いい加減、疲れたろ?」

 同情という仮面の下に含まれた憐憫と嘲笑に、室井は敏感に反応した。馴れ馴れしい指を払いのけ、傲然と男を見上げる。

「悪魔め。私はまっすぐ歩いてきた。常にうしろを振り返って、自分の足跡が曲がっていないことを確認しながら来たのだ」

 ほら、と自分の歩いてきた方向を指し示すと、無生物の気配に満ちた砂地には、自分のどころか蜥蜴の足あと一つ落ちては居なかった。

 ただ直径1メートルほどの大きさの円を描くように、何度も重ねられたフットプリントが落ちていた。

 驚く室井の耳に、「わかっただろう?お前は一歩も進んではいない。ずっとここにいたんだ」

 奇妙に無表情な声が、暗い砂漠に響いた。憐れみも嘲笑もなく、ただ限りない、乾いた絶望というようなものが重く沈殿した声だった。

 その響きに含まれた何かがひっかかった。

 理由の掴めない不安に思わず振り返ると、男はずいぶん遠く・・・もう地平線の彼方へ、光に包まれ消えようとしていた。

「・・・待ってくれ!」

 知らず、必死で叫んでいた。オイテイカナイデクレ。

「・・・君はいつだって間に合わないんだな。さっきが僕の手をとる最期のチャンスだったのに・・・」

 無情な返事が返った。もう見えないほど遠いところに居るのに、声だけが耳元に囁かれて居るかのように聞こえる。

「待て!待ってくれ!」

「冗談じゃない、そんな恐ろしい処、御免だね・・・」

 それっきり、まるで電話が切れたように、男の気配が完全に消滅した。


 男の消滅と入れ替わるように、突然、それまで恰も真空であった地上にずるずると風が動き始めた。

 まるでべったりと皮膚を舐めていくような、粘っこい風が身体に嫌らしくまとわりつき、それからしぶしぶといった様子で次のために室井の肌から剥がれて消えていく。

 不快さに知らず腕を抱くようにしてから、ふいに彼は自分が裸足なだけでなく全裸であることに気が付いた。


 突き上げるような恐怖が襲った。

 彼は狂ったように周囲を見回した。

 ここはどこだ。

 壊れたコンピュータのように、その疑問だけが頭の中のあちこちにぶつかり、頭蓋骨の中を転がりまわった。

 そんなことを考えるより、他に重要なことがあるだろう、と理性が告げているのに、その「他に重要なこと」がなんなのかわからない。

(ここはどこだ? ココハどこだ? ココハドコダ!? <・・そんなことはどうだって良いじゃないか・・> ココハドコダ!!


 突然、地平線が巨大な生き物のように脈打った。

 そしてまるで死のように静かだった砂漠全体が、合図を受けたかのように一斉に喚きはじめたのである。

 一つ一つは小さすぎて意味は分からない。が、全ての砂粒が自分への悪意と嘲笑に満ちて、卑猥なことを金切り声で喋くっている。

 それが全部集まって、おおん、おおんと、まるで壊れる寸前の機械がのたうち、唸っているかのように、凄まじい音声の濁流が空間一杯にあふれかえった。

 空を見上げれば、真っ黒な中にも真っ黒な雲が、濁流のようにごうごうと渦巻きながら流れている。


 室井はふいに、足首から砂の触手が這い上がってくるのを感じた。

 ぎょっとして見下ろすと、砂粒のうえに砂粒を重ねて、押し合いへし合い先を争うように、ぺちゃくちゃ猥雑に喋りながら、足首、脹ら脛、そして膝上へ、室井の肌を舐めるように、ゆるやかならせんを描いて這いのぼってくる。

 ・・・ナンダコレハ・・・?

 直後。天啓のようにソレが意図しているところを悟って、室井は半狂乱に陥った。

 砂が秘部を狙っている。

 恐怖の叫びを発して、室井は太股に達した砂粒達を払い落とし、めくらめっぽうに走り出そうとした。だが意志に反して砂地に呑み込まれたように足は固定され、進むことも退くことも叶わなかった。

 意志を持った砂が室井の足首から下を固定し、払った手に付着した砂粒はバラバラになりながらも、汗ばんだ室井の皮膚の上で蠢き、気色悪さに総毛立った室井を直に感じて、嬉しそうに産毛の隙間に取り憑いた。


 払っても払っても、次から次へ砂粒は這いあがってくる。発狂しそうになりながら室井は汗だくになって砂粒をひたすら払い落とした。

(クルナ・クルナ・クルナ・クルナ!!)

 どれくらいそうしていたのか。

 はっと気付けば、いつしか砂のピラミッドが自分のまわりに出来上がっていた。

 室井は蠢く砂の山に両脚を膝上まで突っ込んだ形で固定されており、そしてそのピラミッドの頂点は鋭い角度を持ち、恐ろしいほど正確に室井の両脚の間を指していた。

 その凶暴なイマージュがもたらす予感に、室井の全身がぶるっと震えた。と見る間に頂点がぐにゃりと捻れ、右太股に鞭のように巻き付く。払い落とせる太さではなかった。いや・・それはまさに、自分を穿ったアノ太さだった。するすると砂の棒が這いのぼってくる。


 それが秘部に達する瞬間、ついに室井は天に向かって絶叫した。

 
 天には巨大な目が二つ、もう遅いと彼を冷然と見下ろしている。

       *


 すすり泣くような喘ぎ声に、青島は布団をはね除けて飛び起きた。

 途端に北国の寒気が厚手のスウェットを刺し通して皮膚を粟立たせたが、かえってそれは眠気を払うのには都合が良かった。

 すっと音をさせないように立ち上がると、室井の寝室へ通じる引き戸を開ける。

 豆電球のついた室内の様子は、闇に慣れた青島の目には昼間同然によく見えた。

 侵入者が居るわけではないことを即座に確認してから、青島はうなされている室井に大股に近寄った。

 頬を濡らす涙と苦しげな呻き声に、覗き込む青島の顔も歪む。

 強張った指が上掛けの上で伸ばされるのが、恐怖から逃れようと救いを求める仕草に見える。

 反射的に青島はがっしりとその手を掴んだ。大きな声で名を呼ぶ。

 室井さん。

 同時に全身にふるえが走り、室井が喉に絡んで声にならない叫びをあげ、大きく仰け反った。

 掴まれている事に気が付かない室井の爪が蜘蛛の手のように立って、痛みに眉根を寄せるほど深く青島の手の甲に食い込んだ。

「室井さん!」

 叫びざま、硬直した腕をぐいっとひき、仰け反ったままの室井の身体を手荒く引き起こす。がくりと持ち上げられた頭が、嫌々をするように左右に振られた。

 片手で頬を強めに何回か叩く。

「室井さん! 起きて下さい!」

 苦しげに開いた唇から、喘息患者のような呻き声がひゅうひゅうと漏れていた。

 うすく開いた目が青島を捕らえるまで、ずいぶんかかった気がした。 

「・・・あ・・・?・・・・あお・・・」

 凄まじく青ざめた貌には冬だというのに脂汗がじっとりと浮かんでいる。

「夢みていたんですよ、室井さん。うなされてたんで、起こしました」

 青島は自分に出来るだけ温かい、落ち着いた声をだそうと思った。

「・・ココハ・・どこだ・・・・?」

 内容はともかく、その発音がヘンに機械じみて聞こえたが、まだ覚醒しきっていないのだろうと判断する。

「秋田の、室井さんの実家です。きてから1週間になりますよ。覚えてますか」

「・・・・・・・ああ・・・」

 溜息と共に吐き出されたのは、肯定なのか安堵の溜息なのか、どっちとも言えなかった。

「悪夢だったみたいですね、」

 大丈夫ですか、と言いかけて、やめた。大丈夫でないことが一目瞭然だったし、聞いたら聞いたでこの人は「大丈夫だ」と応えてしまうだろうと思ったからだった。

 代わりに青島は、「寒くないですか?」と聞いた。

 その声に驚いたように室井は至近距離の青島を見上げ、そしてやっと内面の暗黒世界から外界へ意識が向いたようだ。

 今更のように身を震わせて、寒いな・・と呟き、それから青島の手に爪を立てている包帯の巻かれた指に気付いた。すまん・・・と呟いて、青島の手を解放する。痛かったろう?

 いいえぜんぜん、と囁いてから、青島はじんじんする手の甲をちょっと舐めておいた。皮膚がめくれ、微かに鉄の味がしたが、大して痛くもないのは本当だ。

「それより風邪引いちゃいますから。布団の中に早く入って」

 促しても室井は貌を強張らせたまま動こうとしない。

 も一度おなじ夢を見るのではないかと怯えているのだろうか。

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こんな夢見たくねえ・・・。

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