室井別荘 4 慟哭〜死者の瞳〜
スタンス(STANCES)
Jean MOREAS(1856-1910)
みだりに言ってはいけない、人生は楽しみ多い宴などと。
それは愚かしい精神や卑しい魂の世迷いごとだ。
絶対に云うべきではない、人生ははてしなく不幸だと。
それは、あまりに早く疲れる情けない勇気の泣きごとだ。
春に木々の梢がそよぐように笑いたまえ
北風や砂浜の波のように泣きたまえ
あらゆる喜びを味わい、あらゆる苦しみを耐え、
そして言いたまえ
人生はすばらしいもの、夢の影だと。
[Les Stances]
青島は、おそらく、そのときの光景を―――その恐怖を、生涯忘れることはないだろうと思う。
きつく凍り始めた高山の空気が、皮膚と肺に、棘のようにちくちくと刺さった。
濃紺の空にそびえる針葉樹の森は、描き割りの背景のようにまるで微動だにしなかった。
そして薄暗い闇に沈みかけた人もまた。
ただその手の刃だけが、白く光を弾くのをのぞけば。
青島は、そのとき自分が感じたものが何なのか、うまく云うことはできない。
だが、それはまず大部分が怒りの感情だった。それから恐怖だった。そして悲しみだった。
それは大部分が室井に向けられていた。
つぎに自分自身の無力さに向けられ、そして最後にそれは、犯罪へ、彼をここまで追いつめた犯人たちへぶつけられた。
「…室井さん!」
それは怒号か、悲鳴か、懇願か、青島にも判らなかった。
だがそれは、迫り来る闇を破砕する一発の銃声のように、閑寂な別荘地にとどろいたのだった。
室井は薄い闇のなかにいた。
熱さも、寒さも、冷たさも、痛みも、くるしみも、感じなかった。
何も聞こえなかったし、何も考えていなかった。誰の顔も浮かばなかった。
感じるのは、手にある金属の意外な重さだけだった。
それは結構平和なことだった。何も感じない、ということは。
死ぬのも悪くないなあ…。
そのとき、彼は、白痴じみた微笑すら浮かべていたかもしれない。
「室井さん!」
そのとき、ものすごい大音声が、室井の穏やかな灰色の世界を打ち壊さんばかりにとどろいたのだ。
―――――…あおしま?
* * *
凝視する青島には、樹下に突っ立つ室井のほそい肩が、微かに揺らいだように見えた。
それから、小さく、背筋に電流が走ったように見えて、それから、彼の肺が空気を吸い込むのを、背筋の動きを通して青島は見た。彼の全体の筋肉がうごいた。腰から足にかけて、薄い布に覆われたそれは、ゆっくりうごいた。
生きていた。彼は。室井は。生きて動いている。
「室井さ…」
青島は呼んだ。自分は間に合ったと安堵した。室井は振り返った。
青島は室井の瞳を探り当てた。その瞬間、彼はぞっと総毛立った。
見返す窪んだ眼窩に、ただ黒いだけの真っ黒な瞳がふたつ、ある。
それは死を封じこめた瞳だった。
それはまるでブラックホールのように、光も、希望も、怒りも、そして恐怖すらも呑み込んで、そして再び放射しなかった。
それは断絶だった。
でなければ断崖にうがたれた巨大な空洞だった。
何もかもを呑み込むような暗さと深さを持ち、そして光というものからだけは無縁な空洞だった。
それはたぶん、何万年もの間、際限のない波しぶきによってえぐり取られた虚無と似ていた。
そして今、向き合った室井と青島との距離は3メートルではなく、たぶん深さ三尺の穴の下の世界と、太陽に照らされた地上の世界との距離だった。
室井の乾いた唇が、微かに動いた。息を吐き出すためなのか、それとも何か言葉をつむごうとしたのかは解らなかった。
だがそれが、言葉になろうとしたはるか手前で死滅したのは確かだった。
青島は痛む歯茎を噛み締めた。
全力疾走したために跳ね回っていた心臓が、今は、それとは違う不穏な鼓動を乱れた速さで打ち始めていた。
側頭部の髪が逆立つ、ちりちりした感覚がある。こめかみが打つずきずきした脈を、奇妙にはっきりと知覚できる。
息が整うのを待たず、彼は一歩を踏みしめるようにぐいと身体を庭へ押し出した。
わずかな時間だった。
自分が彼を置き去りにしてから。
だがその時間が二人の立っている場所に凄まじい距離を生み出したのを、青島は瞬時に悟った。
そして自分がどんなに酷い失敗をしたのかという、臍をかむような後悔も。
その後悔は容赦なく青島に襲いかかってきて、彼をぶっ倒れそうなほど打ちのめした。
言うなら彼は、ほとんど大地をわし掴んで咆吼したいくらいだった。
もし間に合っていなければ、たぶん彼は室井の死骸を抱いたまま、そうして気が狂うまで絶叫していたにちがいない。
彼が真実から逃げたことの厳粛な結果は、今彼の目の前に、こんな姿の室井という形で突きつけられていた。
(これがお前の卑怯さの結果だ)
闇に沈みかけた遠い山並みから、いんいんと嘲笑を含んだ木霊が聞こえる気がした。
(お前の保身のための発言は、彼の精神をかくも見事に粉砕することに成功したのだ)
彼の前の室井は、かつて彼の知るどんな室井とも違っていた。
それは枯れ木だった。そうでなければ人の形をした物体だった。
「絶望」という白瑯で作り上げた、グロテスクな青白い人型だった。
それはものを感じ、考え、言葉を発するとは思えない「もの」だった。
青島はすくんだ。
青島は恐怖した。
彼は死を目撃していた。
室井こそが、死 そのものだった。
その瞳は、まるで灼熱の太陽を凝視め続けたように、カラカラに干涸らびていた。
もう、世界を見つめていることに疲れた。
弱い自分には、この世界にいることは、まるで真っ赤に焼けた火箸を四六時中突きたてられている苦しさだった。
でも、一生懸命、そんなことはないと思いこもうとしてきた。そんなに苦しいはずはないと。痛むのは気のせいだと思おうと努力した。両親も青島も、とてもやさしかったから。甘やかしてくれたから。
だけどもう、ひりひり痛くてたまらなくて、やっぱり苦しくて、苦しくて、見たくないのに、まるでずっと目を開き続けているようで、だから今、まばたきするように目を閉じてもいいだろうかと思った。
そうすることを自分に許しても、もういいんじゃないかと思ったのだった。
――――それは自然なことではないだろうか?
もう目を閉じたい、と切に願うことは。
死とは、自分にはそういうものだった。
死には理由などない。死ぬ原因と手段はあるが、それは死そのものではない。
今も、全世界で、人は死んでいっている。パレスチナの少年の腹を弾丸が通過し、老人が東京の病院で呼吸を止め、コソボでは生まれたばかりの赤子が首をひねられ、アンゴラでは畑仕事に出た母親が地雷で吹き飛ばされる。
それらの死ひとつひとつに、独特で、そして恐ろしく平凡な理由と原因があった。
だけど死は死にすぎない。死を説明することは出来ない。どんな風に死んだかを説明することは出来ても。
そして自殺の場合特殊なのは、死のうという欲望が最低限必要だということだった。それが他のあらゆる死と比較して特殊なので、人々の耳目を集めるのである。
室井は死んだ精神の燃えかすを集めて、その灰の山から‘矜持’と‘美意識’と‘正しさ’を発掘した。
ほのかに温かいそれらを使って、彼は身を清め、髭を落とし、死衣をまとい、刃を握る力を得た。
あとは真っ直ぐそれを首に突き刺して、このうっとおしい思考をやめようとしない脳への血流を止めれば、すみやかに自分の人生に相応しい結末が訪れる予定であった。
目を閉じても、死の太陽は常に彼の眼底にあって彼の瞳を休ませない。
あの時から、世界は何か灰色のヴェールがかかったもののような感覚がとれない。
なにもかもが嘘のような気がした。
時折そのヴェールの靄を通して明るい光が見える気がするときもあったが、それはほんのつかの間のことでしかなかった。
彼は、世界全てがどんどん濃くなる濁灰色のヴェールに覆い尽くされていくことを認めた。
もう何も見えなかった。
もう何も望むものはなかった。
希望も、夢も、約束も―――嘗て、あれほど彼を駆り立てた、あの曖昧な熱情も―――いまや遠い祭りの日の記憶のように、ぼんやりとかすんで見えているだけだった。
それは敗北かもしれなかった。
しかしそれが「事実」であるならば、それが敗北であろうとなかろうと、それはもはやなんの意味も持たないことだった。
事実を否定することは出来ない。
死体を前にして死んでいないと云うことはバカげたことであるように、敗北を前にして負けるなと叫ぶのは無駄な行為だ。
* * *
自分は三日間、あの腐った畳の上を這いずりまわった。
すえた安酒と、精液と、汗の匂いが、あの時の自分の世界だった。
私は叫んだ。叫び続けた。あられもなく。プライドもなにもかなぐりすてて。
苦痛に。恐怖に。そして助けを求めるために。最後はやつらに懇願するために。
私は奴隷だった。乞食だった。
私は惨めだった。情けなかった。
こんな奴らになんで頼まなければならないのかと悔しかった。
だが私は言っていた。そうとも、何度も言った。
やめてくれ、おねがいだ、‘それ’以外ならなんでもするから、と。
私は懇願した。腐った 畳に額と頬を擦りつけてすすり泣いた。
だが、私に与えられたのは、何度も、何度も、あの時私を貫いたのは、めちゃくちゃに引き裂いて私をバラバラにしていったのは、あの、おぞましい、肉の塊だけだった。
わかるか。それがどんなことか。
わかるか。それでも生き抜こうと思うことが、一体どんな事なのか。
ベッドの上で一課の刑事の尋問を受けながら、思い出すよう要請される、あの恐怖と苦痛でしかない記憶に発狂しそうになる自分を、自分は死にものぐるいでコントロールした。
本当は叫びたかった。
頭を抱えて泣き喚きたかった。
多分あの時の私に必要なのはそう言うことだった。
さもなければ片っ端から怒鳴り散らし、白々とした顔つきの刑事達をぶちのめして、自分も病院もこの世界も、何もかも破壊してしまいたかった。
だが私はそうしなかった。
いつからか自分は逃げないことを誓った。
そして戦ってきた。戦わねばならないと思っていたから、とにかく戦ってきた。
――――私は戦ってきた。
戦って、戦って、戦って…。
そして・・・・・もういい、と思った。さっき。
自分は負けた。そういう事が本当にすとんと腑に落ちた。
そういう風に思わせる相手がいつも青島だったということが少し面白かった。
もちろん恨んでなどいない。
あのときと同じように、心は静かだった。
* * *
「・・・室井さん。手に持っているものを渡しなさい」
初めて、青島は室井に命令した。震えていたが、堅く、断固とした声だった。
死の影そのもののようにつっ立っていた彼の身体が、その音声にぐらりと揺れた。顔全体が、何かの苦痛に耐えるように醜く歪んだ。再び、彼の唇が動いた。
だがやはり、その言葉も音声になる一歩手前で死んだ。
青島は怒りを籠めて呼んだ。
「室井さん。やめなさい。」
その音声は鋭く室井の精神に切り込むようにも思えた。しかし同時にぼんやりと、水の中でしゃべっているように、ぼわんと反響して聞こえてくるような気もした。
室井のなかに、もう少し呼吸を続けようかどうしようかの迷いが生まれた。
だがもう彼はへとへとになっていた。
自己の死までも争わねばならないことが、よけいに彼を疲れさせていた。
自分には言葉も呼吸も、もういらないのだ。
室井はすこし苛立たしく思った。
思考も、感情も、記憶も、もう要らないのだ。
誰かに、自分に、世界に、なぜ?なんて、もう問いたくはないのだ。
誰かに必要として貰うために、生きていたわけではなかった。
けれどいま、全てを失って、残ったものは壊れたこの体だけだった。
そう、そうだ…だいいち、かくも弱い私はきみに必要ではないだろう?
その考えに、彼の腹の底はまた少し冷たくなった。もしそれ以上冷えることができればだが。
室井は青島を見た。
かつて彼を見るたびに覚えたあの心をふるわせる情熱が、今はどこにも浮かんではこなかった。
それが哀しかった。
なぜあの時、肉体も精神と共に壊れなかったのだろう?
なぜあの時、青島は私を助けてしまったんだろう?
どうせ死ぬのに。どうせ死んでいたのに。
あの時、生きられるかも知れないと思ったのは自分のマチガイだったのに。
…でもマチガイは訂正できる。 今からでも。少し遅かったけれど。
刃が持ち上がっていくのを見て、青島は激昂して叫んだ。
「馬鹿!やるな!引き返せなくなるぞ!」
…引き返す・・・?
室井の頭にぼんやりとした疑問が浮かんだ。
―――あの、苦しみと抑圧しかもたらさなかった人生へ?
室井は目の前で身を震わせ、拳を握りしめて泣いている男をみた。
―――かつて私もあの男と、この波を乗り越えていけるかも知れないと信じた時があったものだが。
なぜ、かつてあれほど感じたあのリアルさを、力を、喜びを、なぜ私はもう感じることができないのだろう?
なぜ私は、永遠にあの熱さを感じ続けることができなかったのだろう?
感じ続けられればよかったのに。
もう一度でいい、あの熱さを、感じられればよかったのに。
ああでも…。
室井は刃を見下ろし、はらりと笑った。
――この痛みは、きっと最後のリアルだ。
室井の顔付きがぼんやりとし、視線を逸らしたその一瞬の隙をついて、青島は前触れなしに跳躍していた。
はっとした室井が手に力を籠めた―――その次の瞬間、青島は手加減なしに室井の鳩尾に当て身をくらわせていた。
室井の手から、銀色の欠片がはじき飛ばされ、青島の瞬間的に閉じた目のすぐした―――高い頬骨の部分を掠って、1メートルほど離れた地面に弧を描いて突き立った。
痩せ細った室井の身体はあっけなく吹っ飛び、背後にそびえる桜の幹にしたたかに叩きつけられて彼は呻き声を上げると、雪まじりの凍った土の上にそのまま崩れ落ちた。
糸の切れた人形のようにくずおれる室井を足下に見下ろし、青島は肩で息をしながら、自らの頬に興奮にふるえる手のひらを押し当てた。
鋭い痛みがあった。
温い血がぺたりと肌を濡らした。
見れば赤い。
―――――こんなことが、
広げた手のひらに付着する赤い液体に、青島は震えた。
―――――あんたはこんなことをしようとしたのか…!
ぎりぎりと、奥歯を青島は食いしばった。涙も出ない目が痛かった。
これは、この赤い血は、本当は室井が流そうとしたものだ。
青島はそれを皮膚に爪がたつほどきつく握りしめた。それは爪をぬるりと滑った。
―――――おれをおいて、勝手に。おれを切り捨てて、あんたは。
―――――いったいどこへ往こうとした!
傷は痛む。瞳は涙を浮かべる。怒りと恐怖という感情に、ヒトの体は震える。怒号する。だがこれこそが生きている証だ。生命の存在証明だ。
なのにあんたは。
そのすべてを禁じて、いったいどこへ往こうとした?!
泣けばいいじゃないか。怒ればいいじゃないか。
傷は痛む。際限なく痛む。ならば泣けばいいじゃないか。転がり回ればいいじゃないか。
確かにおれは間違えた。 自分の抱えるべき痛みから逃げた。でもおれは帰ってきた。間違いを訂正するために。
―――そのおれをあんたは、捨てようとしたんだ。
「…あんた、自分ひとりで生きてると思うなよ!」
青島は泣きながら室井をなじった。
置き去りにされた者の気持ちはどうなる。あんたにとって憎むべき世界のなかに取り残されたおれたちはどうなる?
それはあんたが、おれたちをも憎んだということじゃないのか。
この世に一つも未練はないと叫ぶあんたの死骸を前にして、おれたちがいったい何と言うと思ったのか?なにを思うと思ったのか?
エゴだ、エゴだ、それはあんたの勝手なエゴだ。
おれたちには未練がある。あんたをまだ愛しているおれたちには。
あんたが何であろうともかまわない。生きていてくれればいい。それだけでいいと思っている。
それなのにあんたはいったいどこへ往こうとした…!
「…弱い私なぞ、生きている価値がないじゃないか」
貌を覆って、室井が指の隙間からぽそりと吐き出した。
「価値だって…じゃあ、おれの生きている価値がどこにある?あんたを守ることもできない、おれの生きている価値がどこに?!」
室井の勝手な理屈に、怒りで頭が焼き切れそうだった。吐き捨てるように怒鳴っていた。
目を合わさないまま、室井がのろのろと反論する。
「…きみは、立派で優れた人間だ…私などよりもはるかに強くて」
「あんたを守れなくて、なにが強い!!」
青島が室井の肩をつかんで引きずりあげた。至近距離からわめいていた。
いやいやするように貌を背けていた室井が、仕方なく青島をみた。
そして驚いた表情が走る。
「あおしま…頬に、傷が…」
細い指を自分の頬に伸ばす室井の目には確かに傷を心配する色があって、青島は、それがどうした!と叫びそうになった。
だが青島はそれを呑み込み、かわりに激怒にふるえる声で応えた。
「…ええ。痛いです。生きてるから。」
痛みは、生命の証拠だ。それは、あんたとおれが、今こうして、‘ここに存在している’と云うことの証拠だ。
世界は醜いかもしれなかった。
世界は痛ましいものであるかもしれなかった。
だがそれにも関わらず、世界は素晴らしいものでもあった。
俺にとっては、あんたがこの世界に生きて、呼吸しているというだけで、素晴らしいものだった。
青島はこみ上げる嗚咽を抑えるために片手で口もとを押さえた。
そして幹に押さえつけた室井の肩に自分の顔を埋めた。
「――――痛いよ。室井さん。」
青島はすすり泣きながら、どろどろに汚れた頬を室井の首筋に擦りつけた。つららのように冷え切ったそれは、それでも呼吸をしていた。脈を打っていた。生きていた。両腕の中で。自分の胸の中で。
その生命の存在に、青島は泣いた。
「…でも、おれ、痛くてよかった。痛いのがおれでよかった。あんたじゃなくて。…あんたが痛いんじゃなくて、本当によかったんだよ…」
室井のひからびた頬に、青島の濡れた頬がふれた。
冷たい、ぬるりとした液体の感触は、あのとき自分の流したものと同じはずなのに、恐怖を呼び起こさなかった。
室井は、そろそろと腕を上げた。
自分を抱きしめるように覆い被さっている男の背中に、重いそれを躊躇いがちに回した。
温かかった。
室井は骨そのもののような手で、グリーンのコートの背中をぎゅっと掴んだ。
鼻先に跳ねる髪の毛から、煙草の香りがした。
自分にすがりつくようにしてすすり泣く男の声が、耳に、優しい雨の音のように響いて、そしてそれは室井の乾涸らびた心に霧雨のように降った。
「…ア、…ア、…」
室井の唇から、突然押さえ込んでいた嗚咽が堰をきってあふれた。
彼はまるで一匹の手負いの獣のように、緑のコートにしがみついて咆吼した。
「アアアアアア……!」
青島。
おれは怖かった。恐ろしかった。
痛かった。寒かった。
こんな苦痛の中にいるくらいなら、もう死んでしまいたかった。
青島。
だけどおれは生きていたかった。助けて貰いたかった。
温かい安全な場所に連れて行って、もう大丈夫なんだと云って貰いたかった。
青島。
だけどお前はおれを見捨てたんじゃないのか。弱いおれはいらないとそう云ったんじゃないのか。
だから出ていったんじゃないのか。
おれがどうなろうとお前には何の関係もないはずじゃないのか。
青島。
――――それでも、こうしていると、おれは、まだ何か温かいものが、この世にあると、また錯覚してしまいそうになるんだよ…。
20001130 /1214 rewrite
OQまるさま、お誕生日おめでとうございます。
しかしこんなものを誕生日プレゼントにはできませんですー
…そして今日(2日)、すげえものを<お礼に>貰って蒼白になっている私…
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